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「さくら」通信

苫小牧市議会議員桜井忠のブログ

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ソチオリンピック

 ソチオリンピックも終盤になってきた。いろいろ考えさせられる、内容のある大会にであった。
 まず最初は高梨沙羅ちゃん、絶対的な本命と言われながら表彰台にも上れなかった。いつもシッカリした受け答えをする沙羅ちゃんだが、この時ばかりは表情は凍り付いたように呆然としていた。それでも内容はいつものように人を責めず、自らの成長を決意していた姿が余計痛々しかった。でも、浅田真央選手や柔ちゃんも、天才的選手でオリンピック以外では敵なしの活躍していたが、最初のオリンピックは勝てなかった。そういう意味ではまだまだチャンスはあるし、悔しさが一回りも二回りも大きくなって帰ってくるのだろう。
 次は葛西選手が41歳で銀メダルを取り、翌日団体も銅メダルを取った。彼はそのインタビューで3人の同僚がそれぞれ不安を抱えていることを明かした。メダルの影にはいろいろなストーリーがある。そしてストーリーはあるが報われない者もいる。そして、何より葛西選手のストーリーこそ語らなかったけれども壮絶なストーリーだった。葛西選手の家は父が体が弱く、母が大黒柱だった。だからジャンプをすることはお金が続かないので反対された。しかし、お下がりがあるからと、人から貰った板やスーツを着て続けた。お金がないから、母はジャンプ台まで子供3人の手を引いて行って、「あそこから落ちるとどうなるのかね」とまで言う位貧乏だった。その時あんぱんをお姉さんと分けて食べるように貰ったが、姉は母にも分けて食べた。母は心中をせずに家に帰った。
 私も下川の町長や観光協会の会長などを知っている、小さな町だけれどもとても家族的な雰囲気のある方々だった。下川町では町を上げて子供用のジャンプ場を守りながら、多くのオリンピック選手を育ててきた。下川町の名産は木工製品、キノコとジャンプ選手だと私は思っている。葛西選手はそんな中で育った。家が貧しい分、地域が育てたのだと思う。きっと今下川の町では「葛西は子供の頃、俺がやったスキーで滑っていたんだ」「葛西はおれのお下がりのスキーウェアーを着ていたんだぞ」という人が一杯いた。だからこそ、「葛西頑張れ」とそういう人達が応援したんだと思う。
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プロフィール

HN:
桜井忠
年齢:
70
性別:
男性
誕生日:
1954/02/03
職業:
苫小牧市議会議員
趣味:
書道
自己紹介:
大東文化大学経済学部卒
職歴 苫小牧市議(4期)、前苫小牧市長、元代議士秘書
室蘭市出身

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