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「さくら」通信

苫小牧市議会議員桜井忠のブログ

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三枝三郎先生の訃報

元衆議院議員三枝三郎先生が亡くなったと新聞に出ていた。100歳だったと言う。
 私が東京から北海道に帰ってきて、札幌の(株)東洋実業に就職した、その年(昭和54年)の秋に総選挙があった。三枝三郎の遊説隊長が私の父。選挙が告示されると男性で遊説が出来る者がいなかったので父が三枝三郎に言った。
 「こんな状態では遊説にならない、うちの息子が(株)東洋実業にいる。社長はあなたの有力な支持者なので電話してすぐ応援に呼ばないと選挙にならないよ。」
 私はその日すぐに副社長に呼ばれ、「今すぐ芦別に行き、三枝の応援をしてくれ」と言われ、女房に着替えを届けさせ、夕方発の芦別行きの列車に乗った。
 以来選挙の度に遊説隊の実質的な責任者として呼び寄せられた。翌55年の選挙の後には三枝三郎が私を秘書にしたいと、社長にお願いをしたらしい。しかし社長は断った。後で社長は「三枝は年齢的に大臣は出来ない、秘書になるならもっと大物の秘書にならなければ。」と言っていた。しかし私のことを買ってくれていたことに感謝はしている。
 三枝先生は非常に真面目な方だった。子供のように純粋で演説ベタで、しかし仕事はしっかりとする方だった。空知の田んぼの中を選車が走っていると眠気が襲ってくる。見ると候補が居眠りをしている。私は大きな声で「遠くの田んぼの中で手を振ってのご声援有難うございます。」と言うと、慌てて「どこにいるのかと」目を大きく見開いて手を振っている。それが面白くて次には、「有難うございます。三枝三郎感謝の気持ちで一杯です、両手を振ってのお願いです。」するとあわてて両手を振る。私はさらに図に乗って次のチャンスを狙う。「有難うございます三枝三郎車から身を乗り出してのお願いでございます。」、そういわれると本当に窓から上半身を外に出して手を振っていた。こんな正直な候補は見たことがない。その時私は25歳、三枝三郎は60代後半だった。
 またこんなこともあった、美唄周辺の田園地帯を回っている時、踏切が鳴って停車した。「先生、車を降りて手を振って」私が言うと三枝候補は車を降りて列車に手を振る。また少し行って踏切で警報が鳴る。「先生、また列車が来たから降りて」というと、あわてて降りていって手を振ると貨物列車だった。
 やはり、先生の大きな思い出は鳩山由紀夫を北海道に連れてきたことだろう。東洋実業の社長も三枝の秘書には出さなかった私を鳩山の秘書に出し、私が秘書第1号になった。
 まだまだ沢山の思い出、笑い話があります。しかし今日はこのくらいにしておきましょう。私が思い出を語って、誰かが笑ってくれることが、せめて三枝先生の供養になるものと思います。
合掌
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プロフィール

HN:
桜井忠
年齢:
71
性別:
男性
誕生日:
1954/02/03
職業:
苫小牧市議会議員
趣味:
書道
自己紹介:
大東文化大学経済学部卒
職歴 苫小牧市議(4期)、前苫小牧市長、元代議士秘書
室蘭市出身

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