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「さくら」通信

苫小牧市議会議員桜井忠のブログ

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平和祈念式典

今日苫小牧市では平和祈念式典が行なわれた。近隣市町では戦没者慰霊祭という名称が多い中、このような名称は戦没者遺族が幾何級数的に激減していることがあり、恒久平和を前面に出しているものです。
 さてその中での市長の式辞ですが、私も市長をしていたことがあり、その時の式辞とそれ程違わないものであったのは致し方ないものと思われますし、声高に批判をしようとは思いませんが、ただ、昨日の安倍首相の戦後70年の談話にあったように、もう一歩前進させてはどうかと思われました。
 私は室蘭の出身ですので、細部の苫小牧の歴史は分りませんが、室蘭を例にとると、軍需工場の現在の新日鉄や日鋼が、アメリカ軍の艦砲射撃の対象になり、7月15日の空襲は北海道でもっとも大きな被害を出しました。私の伯父もそのとき亡くなりました。私が子供のときその伯父が死んだ時の様子を母や祖母から聞かされたことが何度かありましたが、祖父が新日鉄(輪西製鉄所)に工場建設の木材を卸している業者であり、実質的に工場建設の作業長的な立場でおった訳ですので、遺体収容をし、イタンキの浜で焼いている社員も知り合いであったため、親切に伯父の遺体のあった場所を示してくれたので、そこの灰を骨箱に納めたと言っておりました。しかし、中国や朝鮮労働者は酷い扱いで、ただ山積みにし油をかけて焼いたとのことでした。もう、私の母も、祖母も亡くなっているので、それが正しいことなのかどうかの裏打ちは出来ませんが当時の状況としては十分あり得る話しだと思います。
 中国や朝鮮の労働者は強制的であったかどうかは分りませんが、おそらくは半強制的に日本へ連行され(一説には中国人が1800名いたと言われている)過酷な労働をまた、現在より酷い差別を受けながら、日々辛い環境の中で、無念の死を異国の地で迎えられたものと思われます。私はこれらの方々にも日本人と同じように、いやそれ以上に厚く取り立てて無念の思いを表明し、お詫びの言葉があってもいいのではないかと思われます。苫小牧市も室蘭市ほどのことではないにしろ、同じような歴史があったのではないかと思われます。
 イタンキ浜に新道が走り、そのトンネルの入り口の少し上に「中国人殉難烈士の碑」があり、1954年の調査で125柱の人骨が発掘されましたが、その後も昭和50年半ばにも砂浜から多くの人骨が発掘されています。なお、中国人で亡くなった総人数は500数十名とも言われています。
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プロフィール

HN:
桜井忠
年齢:
70
性別:
男性
誕生日:
1954/02/03
職業:
苫小牧市議会議員
趣味:
書道
自己紹介:
大東文化大学経済学部卒
職歴 苫小牧市議(4期)、前苫小牧市長、元代議士秘書
室蘭市出身

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