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「さくら」通信

苫小牧市議会議員桜井忠のブログ

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視察報告1(多賀城自衛隊)

 6月11日陸上自衛隊多賀城駐屯地へ視察に行ってきました。
 まず駐屯地指令にお会いしましたが、指令は今年の異動で北海道から移られたので当時の状況より私が何故自衛隊へ視察に来たのか、出光のタンク火災の時の状況をもとに話し、全体の被災状況や各地元の対応などを話し合いました。
 続いて第22普通科連隊副隊長が当時の責任者(当時の連隊長が砲術訓練のため他の駐屯地に行っていたため)としていろいろ具体的なお話しをしていただきました。
 まず、隊長がいなくても各隊のすることは決まっておりその齟齬はなかった。
 次に情報収集の大切さ、特にすべての情報を集約するのだけれども、反面その時に判断しなければならないこともあり、現場で情報を集めると共に判断しなければならないということ。また、生の情報か少しでも情報を入れるものの感想がはいっているのかその判断が必要で、生の情報を入れ、その後担当の考える判断をいうことが必要。
 この駐屯地では当初地震の判断で内陸部も含まれた人員配置が後に津波により海岸部の捜索が中心となる。その時の情報判断の切り替えが必要だったのだろう。
 沿岸部の支援に出された隊員が津波に呑込まれたりしたが、安全を考えると被災地に行くためには、その道路迄指定していなかった。津波を考えた安全な道路を指定するところ迄考えるべきだった(ただしこの駐屯地からは勤務中の殉職者は出ていない。ただこの地震の場合、非番の緊急召集された隊員が出勤中に波に吞込まれて死亡している)。
 最後に広報室長からスライドを使ってこの隊の沿革から今回の被災地の復興まで説明を受けた。
 特に個々具体的にスライドを使っての説明は臨場感があるものだった。被災地支援に命令を受けた者に家族から「助けて」とのメールを受け悩んだ者。その後家族から「大丈夫だからお父さんは他の人を助けてあげて」と入り安心した話し。
 本来駐屯地は避難所ではないがこの津波により多くの市民が逃れてきて急遽避難所となった。特にこの場所には新入隊員の訓練の施設があり、そのジャージが避難してきた者に役立ったという。
 最後に広報室長が「被災地では何より忘れ去られるのが怖いんです。桜井さんのようにこの街に来てつぶさに見ていくことが必要なんです。」と言ってくれた。私には何よりの言葉であった。


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プロフィール

HN:
桜井忠
年齢:
70
性別:
男性
誕生日:
1954/02/03
職業:
苫小牧市議会議員
趣味:
書道
自己紹介:
大東文化大学経済学部卒
職歴 苫小牧市議(4期)、前苫小牧市長、元代議士秘書
室蘭市出身

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