「さくら」通信
苫小牧市議会議員桜井忠のブログ
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親友 井上健君を悼む
話しは少し古くなったが、今月初めに私の親友井上健が癌でなくなった。一昨年から癌で手術をしたとは聞いていたが、昨年の年賀状では少し太ってきていて変わりなくやっていると書いてあったものを信じてしまった。少なくとも最近の医学は早期に発見した癌なら治っている人も沢山いるのだから、井上の場合もそうなんだろうと思ってしまった。
彼とは大学時代からの友人で、同じ村田ゼミで私がゼミ長、彼はゼミの一員だった。初めてのゼミで先生から「国家とは何ぞや」という問いがゼミ員に発せられた。そして最初にゼミ長である私が当てられた。私は「国土」「国民」と答えた。実はそれ迄読んでいた本で、それに「主権」が含まれるのは知っていたが、あまりにも「書物を読んでいるから知っていた」と思われるのがいやでそう答えた。そうすると井上が「国土」「国民」に「主権」があって「国家」と言える、と模範解答をした。内心「コイツは本を読んでいるな」と思った。村田ゼミはほとんどが体育会系の自治会役員や体育会役員が多い中、井上は自民党学生部系の現代政治研究会のメンバーだった。それでゼミが終わってから声をかけてみた。それが2人の仲の始まりであった。
現代政治研究会は私たちが1年のときの4年生、小島敏文(現代議士)先輩が発足させ、私も入学してすぐに入会を勧誘されていたが、大学生活に慣れてからと断っていた。聞くと井上も入学してすぐに小島先輩から勧誘されたらしい。学内で聞き出した住所を尋ねてアパートの一室を小島先輩が訪れると、井上が虫かごにゴキブリを入れて「先輩、部屋でコオロギを捕まえて、えさをやっているんだけど、まったく泣かないんですよね」見ると中にキュウリが入っている。私も同じ北海道出身だから分るのですが、帯広出身の井上はコオロギも見たことがなければゴキブリも見たことがなかったのでした。
私も彼に誘われて現代政治研究会に入会して4年生のとき彼が部長で私が副部長、夏休みを利用して部恒例の海外視察に10日間韓国に行ってきた。お金がない私たちはフェリーを利用して下関か釜山に上陸しましたが、2日目当たりから徐々に腹を下す者が出てきた。食事のときは全員揃ってから彼の号令で「いただきます」を言ってから始まる。ところが朝食に来ないメンバーがいる。釜山より慶州になるとさらに多くの者が出て来ない。彼は「気合いが入っていないから下痢になるんだー」とすこぶる機嫌が悪い。しかし、次の大田では朝彼が出て来ない。副部長の私が彼の部屋を見に行くと、トイレに座って、上半身はシンクを抱いて、下痢をしながら嘔吐をしていた。「桜井すまん、食事の号令掛けてくれ」というのが精一杯だった。
彼の逸話は社会人になっても続く、彼は衆議院議員の山田久就の秘書をしていたが選挙が終わってすぐに辞表を提出、台湾に留学する。そこで知り合った台湾人と結婚、親に結婚したいと伝えると「中国人などと結婚するなんて、もう親でも子供でもない」と勘当される。それではかわいそうだと私と後輩2人が結婚式に台湾まで駆けつける。新婚旅行を兼ねて台中の嫁さんの伯父さんのところに行く。伯父さんは私たちがわざわざ日本から来たことを喜んでホテルの地下のレストランに連れて行き、「今日はこのホテルで一番高い鍋をごちそうする」という、私はどんな鍋が出てくるのか楽しみでした、そうしたら何のことがない鱈チリ、そう、南の国の台湾では北の魚のタラが一番高いのでした。
彼が留学して間もないころ、台中に行った時、ある社長夫妻に大変お世話になった。その後半年くらい経ってその夫人が台北に来た、ホテルでその夫人と半年ぶりの再会をする、そうすると話しをしていると、何度も「井上さんチ◯ポ大きいね」と言う、何かうっとりとした感じで「井上さんチ◯ポ大きい」と言ってる。『これは、社長から離れて台北に来たので、俺を求めているのではないか』と思ったらしい。しかし、やがてそれは日本語で「進歩」これが中国語では「チンプー」、さらに台湾南部の方言で「チンポー」となることが分った。「井上さん以前台中に来た時には中国語が下手だったけれども、たった半年で進歩が大きいね」という意味だったよう。間違いを犯さなくて良かった。
やがて、留学が終わって日本に帰ってくる。中国語が出来ることを利用してJALパックの添乗員となる。ある時成田のイミグレーションを通過してから「皆様のパスポート、無くすると大変ですから私がお預かりいたします」と言ってみんな集めて、それをカウンターの上に忘れてしまった。飛行機が離陸しようと動き出したとき忘れたことを思い出し、キャビンアテンダントに言うと電話で確認取ってくれ、JALのカウンターにあったとのこと地上勤務の社員が届けてくれるというので飛行機は再び滑走路を駐機場に戻る、そうしたなら今度は客が騒ぎ出した、この飛行機は何か調子が悪いのではないかと。そこで井上が飛行機のマイクを取って説明をした。「皆様からお預かりした大切なパスポートを飛行場に忘れてしまい、今取りに戻っております、大変申し訳ございません。」後日彼は言った、「あのときJALだったから良かった、他社だったらそのまま中国に行き、入国出来ないところだった」と。
その後、国立市議になり、私はその選挙の応援に行ったのが最後になってしまった。ご冥福を祈りたい。合掌
彼とは大学時代からの友人で、同じ村田ゼミで私がゼミ長、彼はゼミの一員だった。初めてのゼミで先生から「国家とは何ぞや」という問いがゼミ員に発せられた。そして最初にゼミ長である私が当てられた。私は「国土」「国民」と答えた。実はそれ迄読んでいた本で、それに「主権」が含まれるのは知っていたが、あまりにも「書物を読んでいるから知っていた」と思われるのがいやでそう答えた。そうすると井上が「国土」「国民」に「主権」があって「国家」と言える、と模範解答をした。内心「コイツは本を読んでいるな」と思った。村田ゼミはほとんどが体育会系の自治会役員や体育会役員が多い中、井上は自民党学生部系の現代政治研究会のメンバーだった。それでゼミが終わってから声をかけてみた。それが2人の仲の始まりであった。
現代政治研究会は私たちが1年のときの4年生、小島敏文(現代議士)先輩が発足させ、私も入学してすぐに入会を勧誘されていたが、大学生活に慣れてからと断っていた。聞くと井上も入学してすぐに小島先輩から勧誘されたらしい。学内で聞き出した住所を尋ねてアパートの一室を小島先輩が訪れると、井上が虫かごにゴキブリを入れて「先輩、部屋でコオロギを捕まえて、えさをやっているんだけど、まったく泣かないんですよね」見ると中にキュウリが入っている。私も同じ北海道出身だから分るのですが、帯広出身の井上はコオロギも見たことがなければゴキブリも見たことがなかったのでした。
私も彼に誘われて現代政治研究会に入会して4年生のとき彼が部長で私が副部長、夏休みを利用して部恒例の海外視察に10日間韓国に行ってきた。お金がない私たちはフェリーを利用して下関か釜山に上陸しましたが、2日目当たりから徐々に腹を下す者が出てきた。食事のときは全員揃ってから彼の号令で「いただきます」を言ってから始まる。ところが朝食に来ないメンバーがいる。釜山より慶州になるとさらに多くの者が出て来ない。彼は「気合いが入っていないから下痢になるんだー」とすこぶる機嫌が悪い。しかし、次の大田では朝彼が出て来ない。副部長の私が彼の部屋を見に行くと、トイレに座って、上半身はシンクを抱いて、下痢をしながら嘔吐をしていた。「桜井すまん、食事の号令掛けてくれ」というのが精一杯だった。
彼の逸話は社会人になっても続く、彼は衆議院議員の山田久就の秘書をしていたが選挙が終わってすぐに辞表を提出、台湾に留学する。そこで知り合った台湾人と結婚、親に結婚したいと伝えると「中国人などと結婚するなんて、もう親でも子供でもない」と勘当される。それではかわいそうだと私と後輩2人が結婚式に台湾まで駆けつける。新婚旅行を兼ねて台中の嫁さんの伯父さんのところに行く。伯父さんは私たちがわざわざ日本から来たことを喜んでホテルの地下のレストランに連れて行き、「今日はこのホテルで一番高い鍋をごちそうする」という、私はどんな鍋が出てくるのか楽しみでした、そうしたら何のことがない鱈チリ、そう、南の国の台湾では北の魚のタラが一番高いのでした。
彼が留学して間もないころ、台中に行った時、ある社長夫妻に大変お世話になった。その後半年くらい経ってその夫人が台北に来た、ホテルでその夫人と半年ぶりの再会をする、そうすると話しをしていると、何度も「井上さんチ◯ポ大きいね」と言う、何かうっとりとした感じで「井上さんチ◯ポ大きい」と言ってる。『これは、社長から離れて台北に来たので、俺を求めているのではないか』と思ったらしい。しかし、やがてそれは日本語で「進歩」これが中国語では「チンプー」、さらに台湾南部の方言で「チンポー」となることが分った。「井上さん以前台中に来た時には中国語が下手だったけれども、たった半年で進歩が大きいね」という意味だったよう。間違いを犯さなくて良かった。
やがて、留学が終わって日本に帰ってくる。中国語が出来ることを利用してJALパックの添乗員となる。ある時成田のイミグレーションを通過してから「皆様のパスポート、無くすると大変ですから私がお預かりいたします」と言ってみんな集めて、それをカウンターの上に忘れてしまった。飛行機が離陸しようと動き出したとき忘れたことを思い出し、キャビンアテンダントに言うと電話で確認取ってくれ、JALのカウンターにあったとのこと地上勤務の社員が届けてくれるというので飛行機は再び滑走路を駐機場に戻る、そうしたなら今度は客が騒ぎ出した、この飛行機は何か調子が悪いのではないかと。そこで井上が飛行機のマイクを取って説明をした。「皆様からお預かりした大切なパスポートを飛行場に忘れてしまい、今取りに戻っております、大変申し訳ございません。」後日彼は言った、「あのときJALだったから良かった、他社だったらそのまま中国に行き、入国出来ないところだった」と。
その後、国立市議になり、私はその選挙の応援に行ったのが最後になってしまった。ご冥福を祈りたい。合掌
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プロフィール
HN:
桜井忠
年齢:
70
性別:
男性
誕生日:
1954/02/03
職業:
苫小牧市議会議員
趣味:
書道
自己紹介:
大東文化大学経済学部卒
職歴 苫小牧市議(4期)、前苫小牧市長、元代議士秘書
室蘭市出身
職歴 苫小牧市議(4期)、前苫小牧市長、元代議士秘書
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