「さくら」通信
苫小牧市議会議員桜井忠のブログ
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無題
ここ10日間、伊豆大島の町長が災害時不在であり、副町長もおらず大きな被害が出たこと。続いて台風などが襲来が予想されていること。そこでマスコミ各社が避難勧告、指示を求める報道をしています。
詳しくは私にもわかりません。ただ、町長として、その時点で最大の情報量で判断したこと。それを外部から一面的に捉え一斉に避難を求めることに違和感を抱きます。
私の経験ですが、10年前の9月、出光のタンク火災のとき当時市長として避難勧告、指示を検討したものとして当時を振り返ってみます。
地震によりナフサタンクの蓋が落ちて全面火災となりました。当時煙は北に伸び、その影響下には24,000人の方々が住んでいました。この地域の方々は油の臭い、泡消火剤の動物の脂の臭いがして、不快に思う方もいました。早速避難所を煙の来ない場所に用意をしましたが、数件の方が避難してきたにすぎませんでした。
当時8月に台風が胆振・日高地方を襲い数名の犠牲者を出し、北海道は避難指示を出さなかったことが非難を浴びていました。そこで夜半北海道の副知事から避難指示を出すように電話がありました。また自衛隊も避難指示を出すことを勧めました。しかし、警察は誰もいなくなった地域に泥棒が跋扈しても総て警戒をすることは難しく避難指示は出さないで欲しいと申し入れがありました。
私が一番こだわったことはそこに東病院があり、重篤な患者がいる、その患者を市内の市立病院や王子病院で総て受入れることが出来ず、一部札幌の大学病院などに搬送しなければならない。この臭いが体に悪いのかというと「不快だが体に害はない」という。体に害がないのに札幌に動かして、その途中に急変することもあるかもしれない。そう思うと避難指示は出せませんでした。あの火災がタンクが倒れ周辺まで火の海になる、または隣のタンクに燃え移り、複数のタンクが火災になるときは避難指示を出そう、しかし今のままなら出さないと決めました。
その翌日風が少し西に動き、その影響下の市民は33,000人となりました。火災は大容量泡放射砲を超法規で外国から持ち込まれ、それに従って夜間自衛隊が全国から泡消火剤を供給し、火災が鎮火することはなかったけれども、タンクは均等に折れ曲がり、「座屈」という形で油が外部に漏れ出ることはなく、やがて鎮火を迎えました。
この市長の判断は今でも正しかったと自分では思っています。そのための情報は火災現場は勿論のこと、出光にある対策本部には自分が行くことを求められましたが、敢えて技術系の助役を市の代表として送り込み、さらに病院や、市内の情報も各所から集めて判断しました。その判断は孤独ですが、市民から選ばれて市長になった訳ですので仔細漏らさず情報を集めた上で自分が下すものと思います。今でも市民はその緊迫した状況は知らないと思います。そしてそれで良いのですが、マスコミが一面だけ見て軽々に発言できることだとは思いません。
実際大島の島民も「夜間避難勧告が出てもどうしようもない。」「避難勧告の前に被害が出た。」とのことで,町長を非難する声は聞こえません。さらに、町外から町長を非難する電話が、町がいろいろと次の台風に備えて準備をしている大変忙しい時に延々と続く。町の担当者も素っ気なく切る訳にも行かず説得するが,「町長死ね」という電話に。担当者は泣きながら対応をしているとのことです。正解は何か今は分りません。しかし今は町は正しいと思うことを全力で行うしかないのです。外部の者はそれを暖かく見守ることが大切だと思います。
詳しくは私にもわかりません。ただ、町長として、その時点で最大の情報量で判断したこと。それを外部から一面的に捉え一斉に避難を求めることに違和感を抱きます。
私の経験ですが、10年前の9月、出光のタンク火災のとき当時市長として避難勧告、指示を検討したものとして当時を振り返ってみます。
地震によりナフサタンクの蓋が落ちて全面火災となりました。当時煙は北に伸び、その影響下には24,000人の方々が住んでいました。この地域の方々は油の臭い、泡消火剤の動物の脂の臭いがして、不快に思う方もいました。早速避難所を煙の来ない場所に用意をしましたが、数件の方が避難してきたにすぎませんでした。
当時8月に台風が胆振・日高地方を襲い数名の犠牲者を出し、北海道は避難指示を出さなかったことが非難を浴びていました。そこで夜半北海道の副知事から避難指示を出すように電話がありました。また自衛隊も避難指示を出すことを勧めました。しかし、警察は誰もいなくなった地域に泥棒が跋扈しても総て警戒をすることは難しく避難指示は出さないで欲しいと申し入れがありました。
私が一番こだわったことはそこに東病院があり、重篤な患者がいる、その患者を市内の市立病院や王子病院で総て受入れることが出来ず、一部札幌の大学病院などに搬送しなければならない。この臭いが体に悪いのかというと「不快だが体に害はない」という。体に害がないのに札幌に動かして、その途中に急変することもあるかもしれない。そう思うと避難指示は出せませんでした。あの火災がタンクが倒れ周辺まで火の海になる、または隣のタンクに燃え移り、複数のタンクが火災になるときは避難指示を出そう、しかし今のままなら出さないと決めました。
その翌日風が少し西に動き、その影響下の市民は33,000人となりました。火災は大容量泡放射砲を超法規で外国から持ち込まれ、それに従って夜間自衛隊が全国から泡消火剤を供給し、火災が鎮火することはなかったけれども、タンクは均等に折れ曲がり、「座屈」という形で油が外部に漏れ出ることはなく、やがて鎮火を迎えました。
この市長の判断は今でも正しかったと自分では思っています。そのための情報は火災現場は勿論のこと、出光にある対策本部には自分が行くことを求められましたが、敢えて技術系の助役を市の代表として送り込み、さらに病院や、市内の情報も各所から集めて判断しました。その判断は孤独ですが、市民から選ばれて市長になった訳ですので仔細漏らさず情報を集めた上で自分が下すものと思います。今でも市民はその緊迫した状況は知らないと思います。そしてそれで良いのですが、マスコミが一面だけ見て軽々に発言できることだとは思いません。
実際大島の島民も「夜間避難勧告が出てもどうしようもない。」「避難勧告の前に被害が出た。」とのことで,町長を非難する声は聞こえません。さらに、町外から町長を非難する電話が、町がいろいろと次の台風に備えて準備をしている大変忙しい時に延々と続く。町の担当者も素っ気なく切る訳にも行かず説得するが,「町長死ね」という電話に。担当者は泣きながら対応をしているとのことです。正解は何か今は分りません。しかし今は町は正しいと思うことを全力で行うしかないのです。外部の者はそれを暖かく見守ることが大切だと思います。
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プロフィール
HN:
桜井忠
年齢:
71
性別:
男性
誕生日:
1954/02/03
職業:
苫小牧市議会議員
趣味:
書道
自己紹介:
大東文化大学経済学部卒
職歴 苫小牧市議(4期)、前苫小牧市長、元代議士秘書
室蘭市出身
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