「さくら」通信
苫小牧市議会議員桜井忠のブログ
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代表質問−3
③.防災対策について
⑴.平時いろいろな災害時応援協定を結んでいますが今回役に立ったのは何かあるのか、協定を締結したのに実行されなかったのは何かあったのかお答えください。協定とは関係ないかもしれませんが市と協定を締結しているスーパーが7日夜営業をしていないのにもかかわらず、看板など煌々と電気を点けておりました。まだその時点では通電していない場所があり、また大臣が計画停電を示唆していたのにも関わらずです。これは質問にはしませんが私は如何なものかと思いますので注意されたらいいと思います。
⑵.今迄の話と矛盾するように感じるかもしれませんが、東日本大震災の時、津波の映像に大きなショックを受けました。身障者の家庭の方々と話し合ったのですが、これから作る市営住宅は3階建てでもエレベーターが装備されています。それなら今までのように下肢の障害者を1階に住まいするのではなく3階に住むようにして、大きな地震があっても誰も駆けつけなくとも生存ができるように、今までの政策とは真逆ですがそうするべきだと感じました。
東日本大震災の時に過去の津波被害の教訓が生かされた事例として「津波てんでんこ」という言葉がありました。これは皆さんも知っていると思いますが、「津波が来た時には人のことは気にしないで各自それぞれで逃げろ」というものです。ですから障害者は今のように1階に生活していれば助けようと家族だとか、近所の方や民生委員、ヘルパーさんなどが駆けつけていただくと「てんでんこ」にはなりません。「てんでんこ」を実践するためには、下肢障害者の方は他人の世話にならなくともいいように3階に住む。平時ならエレベーターがあれば1階と同じ生活ができると思いますが、担当の見解をお聞きいたします。
⑶.先に防災のサイレン例が各町内に配られましたが、聞いた者も、一度聞いたくらいでは記憶することができず、更に町内会の役員だけでなく、一般住民に周知するのは難しいと思います。今後どう活用していくのか市の考えをお聞きいたします。
⑷.さて、災害発生の時、避難をどうするかが大きな問題です。これはひとえに市長の判断ですが、大変難しいことを私は知っています。市長が避難勧告をする、または避難指示をする。しかしそのことが住民にどう伝わるか。市長が多くの判断材料をもとに下した決定であってもそれが正しく伝わるのか。
先の岡山での水害避難の例ですが、避難を呼びかける子供に対して悠然と避難を拒む親という映像が何度も放送されました。私は「勧告」「指示」という言葉よりももっと緊迫度が伝わる「命令」という言葉をなぜ使わないかと思います。市の計画にも「避難命令」とはありませんがいかがでしょうか。
⑸.次に避難所ですが、私の町内、末広町ではどこに避難したら良いかという混乱がありました。以前は東中学校と言われていました。しかし、津波の予測図が各家庭に配られた際には若草小学校に避難するように書いてあります。しかし今回東中学校だろうと避難すると、東小学校に変わったと言います。確かに東小学校の体育館の方が新しく耐震に優れているのかもしれないが、それなら最初から東小とすれば良いのであって、避難する人の混乱は考えなかったのか。担当の考えをお聞きいたします。
⑹.この質問の最後に、市役所でも避難所運営をするためには少なくともそこにいる人の顔を知ることから始まりますが、これは普段から担当町内制度を導入して、まずはそれぞれ市の職員で各町内に住んでいる人を二人くらいずつ選びそれぞれの町内会の担当にする、それらの人は最低2年程度は町内会の役員として町内会行事にも参加する。そして一朝有事の時は避難場のその地区の担当として町内と市役所を結ぶ存在となる。私はそのようにするべきだと思いますがいかがでしょうか。確かにこれは組合協議もありますから、今直ちにやるとは言えないと思いますが、部内協議してはいただけないでしょうか。お答えください。
⑴.平時いろいろな災害時応援協定を結んでいますが今回役に立ったのは何かあるのか、協定を締結したのに実行されなかったのは何かあったのかお答えください。協定とは関係ないかもしれませんが市と協定を締結しているスーパーが7日夜営業をしていないのにもかかわらず、看板など煌々と電気を点けておりました。まだその時点では通電していない場所があり、また大臣が計画停電を示唆していたのにも関わらずです。これは質問にはしませんが私は如何なものかと思いますので注意されたらいいと思います。
⑵.今迄の話と矛盾するように感じるかもしれませんが、東日本大震災の時、津波の映像に大きなショックを受けました。身障者の家庭の方々と話し合ったのですが、これから作る市営住宅は3階建てでもエレベーターが装備されています。それなら今までのように下肢の障害者を1階に住まいするのではなく3階に住むようにして、大きな地震があっても誰も駆けつけなくとも生存ができるように、今までの政策とは真逆ですがそうするべきだと感じました。
東日本大震災の時に過去の津波被害の教訓が生かされた事例として「津波てんでんこ」という言葉がありました。これは皆さんも知っていると思いますが、「津波が来た時には人のことは気にしないで各自それぞれで逃げろ」というものです。ですから障害者は今のように1階に生活していれば助けようと家族だとか、近所の方や民生委員、ヘルパーさんなどが駆けつけていただくと「てんでんこ」にはなりません。「てんでんこ」を実践するためには、下肢障害者の方は他人の世話にならなくともいいように3階に住む。平時ならエレベーターがあれば1階と同じ生活ができると思いますが、担当の見解をお聞きいたします。
⑶.先に防災のサイレン例が各町内に配られましたが、聞いた者も、一度聞いたくらいでは記憶することができず、更に町内会の役員だけでなく、一般住民に周知するのは難しいと思います。今後どう活用していくのか市の考えをお聞きいたします。
⑷.さて、災害発生の時、避難をどうするかが大きな問題です。これはひとえに市長の判断ですが、大変難しいことを私は知っています。市長が避難勧告をする、または避難指示をする。しかしそのことが住民にどう伝わるか。市長が多くの判断材料をもとに下した決定であってもそれが正しく伝わるのか。
先の岡山での水害避難の例ですが、避難を呼びかける子供に対して悠然と避難を拒む親という映像が何度も放送されました。私は「勧告」「指示」という言葉よりももっと緊迫度が伝わる「命令」という言葉をなぜ使わないかと思います。市の計画にも「避難命令」とはありませんがいかがでしょうか。
⑸.次に避難所ですが、私の町内、末広町ではどこに避難したら良いかという混乱がありました。以前は東中学校と言われていました。しかし、津波の予測図が各家庭に配られた際には若草小学校に避難するように書いてあります。しかし今回東中学校だろうと避難すると、東小学校に変わったと言います。確かに東小学校の体育館の方が新しく耐震に優れているのかもしれないが、それなら最初から東小とすれば良いのであって、避難する人の混乱は考えなかったのか。担当の考えをお聞きいたします。
⑹.この質問の最後に、市役所でも避難所運営をするためには少なくともそこにいる人の顔を知ることから始まりますが、これは普段から担当町内制度を導入して、まずはそれぞれ市の職員で各町内に住んでいる人を二人くらいずつ選びそれぞれの町内会の担当にする、それらの人は最低2年程度は町内会の役員として町内会行事にも参加する。そして一朝有事の時は避難場のその地区の担当として町内と市役所を結ぶ存在となる。私はそのようにするべきだと思いますがいかがでしょうか。確かにこれは組合協議もありますから、今直ちにやるとは言えないと思いますが、部内協議してはいただけないでしょうか。お答えください。
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プロフィール
HN:
桜井忠
年齢:
70
性別:
男性
誕生日:
1954/02/03
職業:
苫小牧市議会議員
趣味:
書道
自己紹介:
大東文化大学経済学部卒
職歴 苫小牧市議(4期)、前苫小牧市長、元代議士秘書
室蘭市出身
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