忍者ブログ

「さくら」通信

苫小牧市議会議員桜井忠のブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

一般会計特別委員会=環境衛生費1

産後ケア
 苫小牧市ではどのようなことをやっているのでしょうか。今年の市政方針の柱は、人口減少社会であり、その対策は一つは働く場所の拡大ともう一つは若いお母さん方に子供を産み育ててもらうこと。そういう意味では産後ケアも抜本的に考えて行くことだと思います。その例として浦安市の取組が先進例となると思います。
 浦安市では4,000円を親が負担となるのですが、ホテルのセミスイートの部屋で助産師が子供の面倒を見てくれて、相談にも乗ってくれる。母はホテルの食事を楽しみながら全身エステをして子育ての疲れを取ってもらうことをしています。勿論助産師の対応の中で子供に対する虐待の有る無しを見ているということもあるでしょう。誠にうらやましいケアですが、子供を産んだ母に対してはそのくらいのサービスがあってもいいのかもしれません。市の考え方をお聞きいたします。
PR

一般会計特別委員会=総務費4

北海道新幹線について
 北海道新幹線×nittan地域戦略会議の350万円、多いなという気がします。まあしかしそれはいいです。ただ、北海道新幹線が北回りになりますが、同時に在来線が廃線になる見込です。そこで北海道が中心となって鉄道を運行するということになってその負担の一部を苫小牧市に求められるのではないかと思いますが、そういう話しは現時点ではないのでしょうか。
 もし今後あった場合はどう返事するつもりでしょうか。と申しますのも以前エアドウに対して、北海道の翼と言うことで道が各自治体に出資を求めた時に、エアドウなど航空会社はあまり関係がないと断った自治体がありました。そういう意味では北回り新幹線によって在来線が廃線になることは苫小牧市にはあまり関係がありません。それどころか北回り新幹線は苫小牧の発展に阻害にもなりかねません。そこで市の考え方をお聞きしておきたいと思います。

一般会計特別委員会=総務費3

男女平等参画社会
 男女平等参画社会の宣言が一昨年本市でも他市に先駆けて行なわれました。市役所を見ていますと、以前に比べて議員との懇談等も女性が大変多くなりました。管理職に女性が増えてきた証だと思っております。
 さてしかし、一歩外に目を向けてみますとなかなかそうはなっていない。そういう中で苫小牧市が出資している会社、特に従業員が10人以下の会社は置いておくとしても、大きい会社、港開発や、苫小牧埠頭、I-Tecソリューション等沢山あると思うのですが、管理職に女性の積極的登用を働きかけてみるということはどうでしょうか。
 以前その資料をいただいたのですが、これらの会社が管理職への女性の登用が多いとはいえません。しかしそれでは市長の折角の取組が理解されていないと言うことになります。勿論強制は出来ないことはわかりますが、そのような申し入れはあっても良いと思いますが如何でしょうか。

一般会計予算特別委員会=総務費2

姉妹都市交流
 今年姉妹都市交流が行なわれるが、参加料金はいくら位でしょうか。ニュージーランドまでの旅費、航空機代とホテル代、食事代等がありますが、私の記憶が正しければ確か前回、前々回共に25万円前後だったと思いますが、最近円安もありますのでどうでしょうか。
 5年に一回のニュージーランド訪問ですが、そのような年だけでも青少年の国際交流事業をこの訪問に併せて行うことが出来ないのでしょうか。訪問プログラムはいろいろと練られていて貴重な体験も出来ますので、子供たちも単独で国際交流をするよりも充実した内容になると思うのですが如何でしょうか。
(市長の予算は40数万円見ている。子ども国際交流は予算が低く韓国やフイリピンなどで考えている)
 市長の予算が40数万円とは随分高いですね。その金額を基本として何時ものような参加者が集まるのでしょうか。参加人数、イベント等どのように考えているのでしょうか。
 また、それだけ高いのだから子供国際交流事業を一緒に出来ないのはわかりました。ただ、本当に貴重な体験を出来る訳ですし、人数が少なくなることが予測されますので、将来的課題としていただきたいと思います。

一般会計予算特別委員会=総務費1

新千歳空港民営化について
 新千歳空港民営化についてお尋ねいたします。かつて、日本の航空機は世界一高い離発着料金であり、アメリカの約7倍、イギリスの13倍でした。それは国土が狭い日本では騒音問題等もあり、例えば関空を例に上げますと海上に4,000m滑走路の飛行場を作った時、その工事費は1兆4500億円もかかっていたのです。セントレアも羽田も同じようなものです。しかしそれに対して新千歳空港は3,000mの滑走路を2本造っても800億円です。しかし政府が管理していた空港ですので離発着料金はジャンボジェットが約100万円、新千歳も関空もほとんど差がありませんでした。ですから当時、新千歳空港では250億円の収入に対し粗利50%で、約半分のお金は特別会計に吸い上げられ、7次空整の財源となっていました。その後平成11年離発着料は2割程安くなり、機種も若干小型化されておりますが、諸外国に比べてまだまだ高いと言わざるを得ません。
 私は平成11年、新千歳をイギリスのヒースロー空港のように民営化し、独立採算とすることによって離発着料を大幅に下げることを提案しましたが、当時の国管理の空港の管理体制を替えろという提案は現実的ではないと一蹴されました。
 しかし時が移り、その民営化が議論される環境になりました。私どもは新千歳の良さを活かすためには単独で独立させ、新千歳空港そのものを発展させること、それにより噴水効果により回りの空港の発展につながると考えます。また、新千歳空港が民営化になったとしても、周辺開発で今までのように千歳側だけが開発され、苫小牧側は騒音だけが増えたと言うことがないように、苫小牧の発言力、発信力を増さなければなりません。そこで現在の進捗状況はどうなっているのか。最近の新聞報道によれば、道議会において道が足踏みをしているかのように映るのですが如何でしょうか。
 特に今北海道新幹線の開通が現実的になってきましたが、どちらにしても新幹線は北回りです、あまり太平洋側にメリットがある内容ではありません。そうした中で、国内だけでなく、LCCなど安い外国の航路がもっと増えると、現在の国際線ターミナルだけでは対応が出来なくなる、代表質問でも聞いていた議員もおりますが、そうすれば苫小牧側に建設すると言う可能性等も出てきます。苫小牧の開発と連動した空港の青写真を、空港に発言力を増す手段をどう考えているのかお尋ねいたします。新千歳空港の単独民営化と、その後の苫小牧市への施設整備を図ること。更に空港インターチェンジまでの開発。それが連動して行なわなければいけないと思いますが如何でしょうか。どのように発言力を高めて行くのかお聞きいたします。

IS(イスラム国)を国と認めない決意

今回の事件で私は思う事はいろいろある。しかし、最終的に言える事は、IS(イスラム国)はこれから多くの地域を占める領土を持とうとも、日本は決して国と認めてはいけないということ。
 油田を持ち、今後領土を広める事があり、そことの貿易が多くの利益を生むものだとしても、決してそのような事をしてはいけない。そして日本の外交力で他の国にも同調を訴えて経済封鎖をしていくことが必要です。その際第3国など利益優先する国も出てくると思うが、世界全体がそれを認めない事が必要だと思う。
 また、国連も第2次世界大戦の戦勝国連合である限りは、このような矛盾が繰り返されるのではないか。世界を見ると、人種、宗教など多彩なのに、アグロサクソンでキリスト教の国がほとんどで、中華民国から替わった中華人民共和国はアジア人でキリスト教国でもないが、拝金主義のゴリ押しの国。こんなところが枢軸になった体制を70年も続けているところにもう構造疲労が来ていると思われる。少なくともイスラム教の国が国連の場所で国際社会と正々堂々と向き合って行くためには国連が多様化されなければならないと思います。そしてその時、日本の出番があると思うのですが如何でしょうか。
 最後に、私は中学、高校時代、父の影響だと思いますが珍しい保守主義者で、学校の先生とよく対立してきました。それは例えば自衛隊の問題です。確かに日本国憲法では軍備放棄を言っていますので自衛隊の存在は違憲だと思います。しかし、日本の国土を守るという意味では憲法改正してでも自衛隊を認めるべきだと思っていました。しかし日教組の考えそのままの先生方は「改憲はいかん」「平和憲法を守るべきだ」「日本がやられたら世界がそれを見ていて助けてくれる」と言っていました。しかし、今回のように全く理不尽なならず者が日本人の生命を盾に要求を突きつけてきた場合、世界は助けてくれるだろうか。勿論今回もヨルダン始め多くの国は日本に対し協力は惜しみないものと思うが、やはり自国民の事が優先せざるを得ず、それは当たり前の事です。そしてならず者にすれば決して攻めて来ない、反撃のない日本人を拉致する事が安全な交渉である事を知っての行為だと思います。世界に出て戦えというのではありませんが、世界に頼るのではなく、日本人の命はまず自国で守るこれが正しいとあらためて思いました。

中山副大臣頑張れ!

今回の誘拐身代金要求事件は何か裏にいろいろな背景があるようなのでその事は書き込みは控えます。現地で大変な任務を負った中山副大臣にエールを送りたいと思います。
 ご承知の通り、彼の祖母は日本で第1号の女性大臣、中山マサ(衆議院議員、厚相)、祖父は福蔵(参議院議員)という血筋です。その長男が中山太郎参議院議員で、二男が中山正暉代議士。中山正暉の子供が中山副大臣ですから、親子叔父を含めて3代の政治家です。勿論、私は世襲はいけないとは思いますが、本論とは異なりますのでこの際置いときます。
 中山副大臣はお父さんにとてもよく似ておりますが、アラビア系の方々と交渉するのにも、鼻が高く彫りが深い日本人離れをした顔をしております。それもその筈、中山マサの父はイギリス人ですので中山マサはハーフ、お父さんはクオーターという事になります。
 父中山正暉は青嵐会でも理論派でタカ派よりももっと右で、自分ではワシ派と言って笑っておりました。そんな関係もあって歴代内閣も当選回数は十分なのですがなかなか大臣に指名できなかったというのが本当のところでしょう。
 私が大学当時、自民党学生部が党本部で毎週木曜日夜会議を行なっておりましたので、地元の三枝三郎代議士の事務所か、中山正暉事務所を仕切っていたのが先輩の小島敏文(衆議院議員)氏でしたので中山事務所に遊びに行っておりました。ある時、用事があって、小島氏も、女性事務員も外出しなければならず、私が留守番を頼まれました。その時、入ってきたのが中山福造と、マサご夫妻。てっきり私を秘書と勘違いをして、私に用事を言いつけておりましたが、私も秘書のように振る舞って使われておりました。
 私が大学4年の冬、自民党が「もっと市民に直接訴える活動をしなければ」ということで、街頭演説を組み、そこには若手代議士が弁士に充てられました。その最初が中川一郎(当3)、浜田幸一(当2)、中山正暉(当2)の青嵐会3羽ガラスでした。渋谷で街頭演説を終え、次の新宿まで、そして新宿から党本部まで、私たちは3人の代議士と自民党の遊説車「あさかぜ」で一緒しました。車の中では7割り方、浜田代議士がいつものハマコウ節を語り、2割くらい中山代議士が論理的な相槌を打つ、中川代議士はただ目を細めて笑っていました。中山代議士の言った言葉はなかなか公開の場では言えない事です。そんな縁でその後浜田事務所から私の女房裕子に事務所で働かないかと声がかかりましたが、丁重にお断りいたしました。私の青春の1ページであり、中山泰秀副大臣をそれだけに応援して見ています。

阪神大震災20周年

神戸の震災が20周年ということでいろいろとマスコミもこの話題に取り組んでいます。
私たちは、神戸の震災を見た時はこれ以上の震災は、私の生きている限りないだろうと思っていたが、4年前の東日本大震災が20年もたたずにあった。まことに災害は何時やってくるか分らず、その備えは万全にやっておかなくてはならない。
神戸の震災は私が市議会議員になる直前に起きました。当時神戸市は大変な惨状であり市役所の建物も被災していた。そこでしばらくは全国からの視察は受け付けないということだったので、我々初当選した議員3人(会派春風)は伊丹の自衛隊に視察に行きました。その時、特に話題にしたことが自衛隊の出動でした。
ご承知の通り、自衛隊の災害出動は、あくまでも自治体から出動要請があって出番が来る。当時の神戸はアメリカ艦船が入港するときに、国に核兵器の搭載を確認する、いわゆる「神戸方式」を押し進めるなどに見られるように、反体制的な、特に自衛隊との関係は冷えていた。ですから自衛隊は大災害と知りながら出動できずに、何時出動要請があっても良いように体制を整え、自衛隊機を飛ばして「偵察」を行なっていた。確認したところ正確ではないがそれによって約半日のロスがあったようです。
災害が発生した場合、何より大切なのは人命を早く助け出すということ。この半日の遅れによってどれだけ多くの命が救えたのかと考えると、首長の責任は重い。そういう意味で当時の市長が亡くなる直前に、「時間が経っても国の支援体制が当時とあまり変わらない」ことに疑念を表明していたが、私はそれには同調しかねる。彼の判断の逡巡こそ指弾されるべきである。
私が市長の時、その時の事、また出光のタンク火災などもあったため、自衛隊退職者を危機管理室に嘱託として採用した。有事の時、自衛隊関係者と名刺交換から始まらなくても、即自衛隊と、市の間に入ってスムーズに事が進むようにである。
いろいろと神戸の震災は、その問題点が苫小牧市に活かされてきた。それでも東日本大震災では新たな対策が示されている。しかし大切な事が一つ一つ進んで行く事は悪い事ではない。きっと被災され、犠牲になられた方々もその事によって報われるのではないだろうか。

石井社長逝く

かつて、新十津川に井上千蔵という若者がいた。絵がうまかった千蔵は「俺は絵描きになる」と言って、上京を考えるのだが資金が無い。そこで、当時景気の良かった室蘭に行き、東京行きのお金を稼ぐ。やがて、上京するのだが、絵描きとしては目がでない。いつの間にか浅草のストリップに居着いて、コメディアンになっていた。芸名は絵描きの夢諦めがたく「レオナルド熊」とした。
 彼の才能を見いだしたのは石井社長。いろいろなテレビ番組にレオナルド熊とコンビを組んでいた石倉三郎とともに石井社長も良く出ており、「石井社長」が芸名のようであった。
 確か、昭和60年だったと思うが、新十津川に住む彼の兄が鳩山の支持者だったこともあり、室蘭で行なわれた後援会のゲストとしてレオナルド熊を呼んだ。会が無事が終了し、彼ら一行は札幌にホテルをとっていた。最終電車まで時間はたっぷりあったので東室蘭駅に近い「大将」で食事をした。そこにはレオナルド熊の他、立川談志の弟と石井社長が同席していました。北海道の食べ物はうまいと、本心なんだか、芸人が谷町を持ち上げたのかそんな話しをしながら話題は「毛ガニ」に。実は私の実家はそこから100メートルしか離れておらず、たしか今朝取れ立てのカニが冷凍もせずにあったのを思い出した。店でカニを注文しても冷凍のカニではおいしくない、家まで走って取りに行くと2杯しかなかったが、皆で食べれば十分だろうと持って行った。そうしたら石井社長は「これは今晩ホテルでごちそうになります」と2杯とも鞄に詰め込んでしまった。テレビで見る通りの図々しさに、呆れるより笑ってしまった。私と石井社長のたった一つの想い出です。
今朝石井社長が亡くなったことがテレビで出ていた。心よりご冥福を祈りたい。合掌

「支持政党なし」という政党

総選挙が終わって20日以上たったが、実際はもっと前のことのように思われる。正月などその他のことがいろいろあって、随分昔のことのような気がしている。
その中で今回の選挙で忘れられないのが「支持政党なし」という政党名が最後にあったこと。まるでいろいろな政党があって、最後に「支持政党なし」の方々が無意識のうちにそこに◯を書いてしまいかねない事態、正直「支持政党なし」の支持が意外にも多かった。
実は私はあの「支持政党なし」で立候補していた佐野君を彼が学生時代から知っている。学生でありながら人材派遣だったと思うが会社を興し、社長をしていた。自民党学生部に属し、先輩である私に「先輩、選挙に出るにはどうしたら良いのだろうか」と聞いてきた。「お金は最低限は必要だけども、それよりも地道だけれど一人一人の心をどうつかむかだよ」と答えたような気がする。
その後、自民党を離れ、尊厳死など訴えて東京を中心に選挙に出ていたのは知っていたが、まさか北海道から出るとは。
でも佐野君、今度は間違えて投票する人を期待するのではなくて、堂々と自らの政策を訴えて勝負しましょう。君の政策の全部は知らないけれども、尊厳死の問題など私も同意できることが多いのだから。
  

カレンダー

12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

フリーエリア

最新コメント

[06/11 初田輝雄]
[06/04 名無しのリーク]
[05/13 hide]
[10/18 初田輝雄]
[09/01 初田 輝雄]
[08/19 初田輝雄]
[07/06 初田輝雄]
[01/20 NONAME]
[08/18 小原一浩]
[07/13 医師より]

最新トラックバック

プロフィール

HN:
桜井忠
年齢:
70
性別:
男性
誕生日:
1954/02/03
職業:
苫小牧市議会議員
趣味:
書道
自己紹介:
大東文化大学経済学部卒
職歴 苫小牧市議(4期)、前苫小牧市長、元代議士秘書
室蘭市出身

バーコード

ブログ内検索

P R

Copyright ©  -- 「さくら」通信 --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]