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「さくら」通信

苫小牧市議会議員桜井忠のブログ

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府中市視察で東京プリンスに泊まる。

 私の父は南條徳男代議士の秘書をしていましたが、南條代議士は日高の本桐牧場のオーナーで私の父は本桐牧場の北海道支配人も兼務していました。府中市にある東京競馬場のパドックの横に幻の馬と吉屋信子に言われ、10戦10勝日本ダービーを勝った直後、破傷風で死んだトキノミノルの銅像がありますが、この馬が本桐牧場の生産馬です。 トキノミノルのオーナーは大映の永田雅一だったので、その後「幻の馬」というトキノミノルをモデルにした映画を作りました。まだ若い若尾文子が出演しています。牧場の男の子が主役でその姉の役でした。さて、その男の子のモデルは「私?」残念ながらそうではないんです。まったくの架空、というのもその当時、牧場の場長は女の子しかいなく、トキノミノルが牧場で育った当時はまだ生まれていませんでした。私の父は競馬には素人で週に一回、室蘭から200キロ近く離れた牧場に行き経営を見ていたのです。
  今日は東京プリンスに泊まっていますが、父が仕えた南條徳男の墓が隣の増上寺にあります。早朝お参りしてきました。このお寺が新築落慶したのが昭和49年11月5日、南條は冗談で「お寺が新築なったら俺が一番に葬式をする。」と言っていました。それが突然の発作で亡くなり、南條家の葬儀は1日仮通夜、2日通夜、3日葬式、そして5日を挟んで8日に自民党葬となり、本当に一番に葬式を本堂で行いました。
 私はそのとき大学3年生、お葬式の手伝いをしていたところ、葬儀も中程に進んだとき、当時世界のホームラン王ハンク・アーロンが王選手とホームラン競争をするために来日していましたが、増上寺を見学に訪れました。誰も葬儀ですので握手を求めることもありません、私だけがゆっくり歩いて「アーロン?」と声をかけると、握手をしていただき、通訳が「お寺を見たいのだけれどもいいだろうか。」とのこと。責任者にその件伝えると「桜井君案内してくれ。」とのことで、私が葬儀中のところ後ろから説明をしていました。そうすると中から出て来たのが北海道トヨペットや北海道テレビの社長の岩沢さん、いきなり「何だこの黒んぼ」というので、私が説明しましたが、地方テレビ局の社長でさえハンク・アーロンを知らないことにはびっくりしました。あと奥さんがきれいな人だったこと覚えています。
 ところで岩沢さんはその後セイビグループの加藤の株仕手戦で失脚しますが当時全国的ニュースで大きな話題になりました。
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無題

 大東文化大学の女子陸上部が全日本女子大学駅伝で2位となった。創部からたった4年のことであるから上出来。優勝は来年の楽しみとしよう。
 と言うのも最初の年は部員が4人しかいなくてスキー部から人を借りて始めた。2年目は全国出場を果たしたが部員の棄権で完走できず,3年目でシード通過を果たした。今年は関東大会に優勝し全国で2位。これ以上ない順調に成長している。
 現陸上競技部副部長の只隈伸也君は伝説のランナーでした。歴代大東文化大の名選手は第1期黄金時代、箱根の山登りの大久保初男、ユニバーシアードに優勝した米重、第2期黄金時代の山登りの奈良と山下りの島崎、バルセロナオリンピックに行った実井君、さらに山下りの金子君がいるが、それがV9時代の王選手であったとしたなら只隈君は長島のような存在。4年間区間賞を出すなど確実に成績を残した者と違い、良い時は手がつけられない程強く、しかし成績が残せなかった時もあった。しかし皆の記憶に残る走りはキチットしていた。
 現在は毎年お正月に行われる箱根駅伝だが、テレビ中継は大変難しく、各地にアンテナを増設するなどしてやっと完全中継が出来たのですが,日本テレビとしてもこれは賭けでした。そこ迄して見せて果たして視聴率が取れるのか。その時只隈君は2区を走りました。一区でつまずいた大東文化大学は2区只隈君が猛烈な追い上げをし、2区でごぼう抜きを演じてみせた。これを見ていた視聴者は箱根駅伝の面白さを理解したのです。しかし、学生No1の只隈君でしたが4年の時は2区でブレーキを起こす。タイム的にはたいしたブレーキではないのですが、何せ「あの只隈が」というところでしょう,そういう意味でも大きな存在でした。
 大学卒業後実業団のヤクルトで走っていましたが、苫小牧合宿の時に一緒に飲みましたが、大変愉快な好青年でした。それ以来長く付合っていますが、選手を辞めてから仙台育英高校の監督や,大東文化大学の監督を経て現職です。今回のことも裏方として努力しているものと思います。
 男子も女子も大東文化大学のために頑張って欲しい。

無題

 ここ10日間、伊豆大島の町長が災害時不在であり、副町長もおらず大きな被害が出たこと。続いて台風などが襲来が予想されていること。そこでマスコミ各社が避難勧告、指示を求める報道をしています。
詳しくは私にもわかりません。ただ、町長として、その時点で最大の情報量で判断したこと。それを外部から一面的に捉え一斉に避難を求めることに違和感を抱きます。
 私の経験ですが、10年前の9月、出光のタンク火災のとき当時市長として避難勧告、指示を検討したものとして当時を振り返ってみます。
 地震によりナフサタンクの蓋が落ちて全面火災となりました。当時煙は北に伸び、その影響下には24,000人の方々が住んでいました。この地域の方々は油の臭い、泡消火剤の動物の脂の臭いがして、不快に思う方もいました。早速避難所を煙の来ない場所に用意をしましたが、数件の方が避難してきたにすぎませんでした。
 当時8月に台風が胆振・日高地方を襲い数名の犠牲者を出し、北海道は避難指示を出さなかったことが非難を浴びていました。そこで夜半北海道の副知事から避難指示を出すように電話がありました。また自衛隊も避難指示を出すことを勧めました。しかし、警察は誰もいなくなった地域に泥棒が跋扈しても総て警戒をすることは難しく避難指示は出さないで欲しいと申し入れがありました。
 私が一番こだわったことはそこに東病院があり、重篤な患者がいる、その患者を市内の市立病院や王子病院で総て受入れることが出来ず、一部札幌の大学病院などに搬送しなければならない。この臭いが体に悪いのかというと「不快だが体に害はない」という。体に害がないのに札幌に動かして、その途中に急変することもあるかもしれない。そう思うと避難指示は出せませんでした。あの火災がタンクが倒れ周辺まで火の海になる、または隣のタンクに燃え移り、複数のタンクが火災になるときは避難指示を出そう、しかし今のままなら出さないと決めました。
 その翌日風が少し西に動き、その影響下の市民は33,000人となりました。火災は大容量泡放射砲を超法規で外国から持ち込まれ、それに従って夜間自衛隊が全国から泡消火剤を供給し、火災が鎮火することはなかったけれども、タンクは均等に折れ曲がり、「座屈」という形で油が外部に漏れ出ることはなく、やがて鎮火を迎えました。
 この市長の判断は今でも正しかったと自分では思っています。そのための情報は火災現場は勿論のこと、出光にある対策本部には自分が行くことを求められましたが、敢えて技術系の助役を市の代表として送り込み、さらに病院や、市内の情報も各所から集めて判断しました。その判断は孤独ですが、市民から選ばれて市長になった訳ですので仔細漏らさず情報を集めた上で自分が下すものと思います。今でも市民はその緊迫した状況は知らないと思います。そしてそれで良いのですが、マスコミが一面だけ見て軽々に発言できることだとは思いません。
 実際大島の島民も「夜間避難勧告が出てもどうしようもない。」「避難勧告の前に被害が出た。」とのことで,町長を非難する声は聞こえません。さらに、町外から町長を非難する電話が、町がいろいろと次の台風に備えて準備をしている大変忙しい時に延々と続く。町の担当者も素っ気なく切る訳にも行かず説得するが,「町長死ね」という電話に。担当者は泣きながら対応をしているとのことです。正解は何か今は分りません。しかし今は町は正しいと思うことを全力で行うしかないのです。外部の者はそれを暖かく見守ることが大切だと思います。

市民文化祭

 高校生時代、甲子園への出場報告に市長室へ来ていた田中将大君、大きく成長して今年は今まで誰もがなし得なかった成績を残しました。そしてパリーグ優勝のかかる戦いに最後の投手として、ローテーションを無視した登板。最後の一球は思いを込めた一球だったと思う。空振り三線、優勝を決めた将大君は大きく吼えた、その雄叫びは東北への鎮魂のうなりだったような気がした。
 市民文化祭出品作品

臨時休校の連絡

 先週水曜日、私たちは視察のため倉敷にどうやって行くのか難儀をしていたとき、私が登校の安全のため毎朝路上に立っている小学校は臨時休校になりました。しかしその情報が町内会に伝えられず、見守りのボランッティアはみんな分らずに朝通学路に出たようです。
 これはこの学校だけなのかと友人の市議に聞いたところ、そこの学校も連絡がなかったとのことです。
 普段学校から町内会へ学校への協力を依頼されている事実がありますが、逆に何かあった時は知らんぷりでは済まされません。
 今から10数年前、暴力団関連の事件があり、学校が緊急集団下校になったとき、校下にあった留守家庭児童会にその情報が知らされずにいたことがあり、緊急の対応の時の情報伝達を一般質問で取り上げたことがありました。言われたことだけ対処するのではなく、情報の共有という意味では同じですし、先生が転勤で変ることは織り込み済みでなければなりません。教育委員会では今週ある教頭会で台風の臨時休校時の反省をするようなので、その結果を待ちたいと思います。

学習発表会

 毎日朝、学校に登校する子供たちの安全を願って、交差点に立っていますが、その学校の学習発表会の様子です。
 右の写真は言葉の教室の子供たちがオオカミと7匹の子羊のパロディで8匹の子鹿、北海道らしくエゾシカで8匹なのは全員がステージに立てるようにとのことでしょう。一生懸命台詞を語りながら、中には「じぇじぇじぇ」と驚いてみせ、会場を笑わせていました。
 左の写真は6年生で大戦時の疎開の様子を演じています。子供たちは疎開という言葉も知らないので教師がこの演目を選んだのでしょう。写真の女性は皆私の町内の子供たち、特に毎日挨拶を返してくれる子たちです。長い台詞を語っていました。中央で座っている子は9月議会のブログ記事で通学路の写真に体を斜めに傾けて通っている子です。
 終了後右から2人目の女の子が児童会長をしているようで、終わりの挨拶も立派に務めていました。
 他の学年も皆全員参加で一生懸命に演じていました。

下町のボブスレー

 リレハンメルなど1大会にボブスレーの監督として、2大会に選手としてオリンピックに出場した船山雄次君は私の幼なじみです。
 陸上の砲丸投げの選手でした。父親が小5の時に亡くなったので決して裕福な家庭ではありませんでした。入った高校は企業内高校で高体連にも加盟していません。私が大学1年のとき会うと「俺も大学に行きたい」とのこと、高校時代張り合った選手が皆大学で活躍をしているのを見て言ったのだと思います。私は大学に戻り、陸上競技部長村田先生(恩師)に相談しましたが、その時点で彼の成績では特待は難しいとのことで断念しました。当時長距離の選手しかいないなかなので、積極的に取ろうとしなかったのかもしれません。
 しかし彼はその後も企業内で頑張り、砲丸投げは勿論のこと400Mリレーなどでも北海道代表として全国大会に出場していましたが、それが当時のボブスレー協会の会長だった堂垣内尚弘北海道知事の目に止りました。大学が駄目でも決して諦めずに練習に励んだ結果だったと思います。当時も彼の所属した日本製鋼所では世界有数な製鋼技術でボブスレーの刃を作って応援していました。大田区の中小企業がボブスレーを作っている姿と、大東文化大学教員の佐藤君がボブスレーでオリンピックを目指しているという只隈君の記事を読んで、昔を思い出しました。船山雄次君も応援していただいた日本製鋼所で今年定年を迎えます。

一般会計決算委員会ー歳入

 不能決算額についてお尋ねいたします。23年の不納欠損額6818万円に比べて、24年度は3億1090万円と非常に多くなっています。特に市税が23年5687万円に対し24年2億9307万円と5倍になっています。決算ですから認定するかどうかわれわれに求められています。不納欠損額がこのように大きくなっていながら何の説明もない。起債や補助もない生のお金で3億円、昨年と比べて2億5千万近く増えている欠損を報告もなく認定できません。詳しく説明下さい。
 市税は詳しく中身を言えないのはその通りかもしれない。しかしそれで決算を通せというのも無理があるのではないかと思いますがいかがでしょうか、話せる範囲でも話してください。
 また使用料及び手数料は税ではないので話すことが出来るのではないのか。不納欠損額は560倍、収入未済額でも15倍になっていますのでお答え下さい。

 監査報告書の8ページに財政力指数が出ています。20年度から23年度まで他市との比較が載っていますが。この三年間で他市よりは良いものの、落ちている率は他市は平均3%なのに苫小牧市は5%で、さらに24年度も1%落ちています。この原因は何か、他都市よりも良いとは言いながらこのままいけば何年か後には札幌に抜かれ、他市とも変らなくなってしまうのではないか。そうならないためにどうすれば良いのかお答え下さい。

一般会計決算委員会ー労働費

 緊急雇用対策事業費についてお尋ねいたします。
 昨年9月議会で私は住居表示板が見えない程劣化しているとのことを質問しました。その後12月議会で1,000万円、市の緊急雇用対策事業として調査費の補正が組まれました。
 しかし現在に至るまで私が指摘した住居表示板が新しくなったということはありません。補正予算は市の緊急雇用対策であったと思います。となるとその予算は一義的には職がない人に働いてもらうということですが、その行われた事業が社会の役に立つことが重要だと思います。そういった意味ではあの事業は結果どうだったのか、それをきちんと報告するべきであろうし、その後その結果をもとに改修計画が立てられておると思いますがそれがどういったものなのかきちんと知らしめる必要があると思いますのでお答え下さい。そこでお聞きいたしますが、昨年の1,000万円の補正予算はどのように使われたのか。市内全体の調査だったとしたならばその結果はどういうことだったのか。その結果全市的な改修はどうなるのか、何年間の事業で本来のキチンと見える表示板に付け替えられるのかお尋ねいたします。

一般会計予算委委員会ー環境衛生費

 子宮頸がん等ワクチン接種緊急促進事業費、約1557万円計上されております。これに関してお尋ねいたします。
 2011年7月にこのワクチンのうちの一つガーダシルを製造販売している製薬会社MSDが医師への不適切な金銭供与などを行ったとして日本製薬工業協会から会員資格停止処分を受けました。2010年秋に同様の行為で同協会から警告処分を受けていたにもかかわらず、その後も違反行為を続けたことが判明したため重い処分をしたものです。
 同社のトニー・アルバレズ社長の会見でも認めていますが、社内調査の結果4つの違反行為がありました。その2つ目に「HPVVワクチンの実情・普及などのアドバイスを得るため、2010年9月から11月に実施したアドバイザリーパネルで延べ24人の参加医師に一人当たり7万円、コンサルタントミーティングで延べ64人の参加医師に一人当たり3万円の謝金を払ったもので、この時点でガーダシルは申請中で、その後2011年7月に同ワクチンは製造承認されています。今回発覚した供与金額の合計は2億2千万円で延べ3400人余りの医師に流れました。こうした大規模な金銭提供が国内の医師の処方に影響を与えないと考えるのには無理があります。また金銭供与された医師の中には公立病院の勤務医師、つまり公務員及び看做し公務員も含まれています。
 さて、このようなことがあったにもかかわらず、われわれにはこの情報が示されず、市議会でワクチン接種が決まりました。何故にこのような情報が示されなかったのか、一方的な情報しか流されていないことは問題があるのではないのか。何故このようなことになったのか担当の考え方をお聞きいたします。
 もう1点、この2012年度の予算に対して、今年度市教委では副反応の調査をしています。そのことをお聞きしたいのですが、その調査で副反応の結果はどうだったのか。重篤な副反応はなかったという市の保健福祉部で押さえている実態と違いはなかったのかどうか。また調査方法など、本人や保護者に聞き取りをしての調査なのか、さらに一月以上休まないとカウントされないということがあるとも言われておりますので、その辺もお答え下さい。
 それと、子宮頸がん検診、これをもっと充実していくことが大切だと思います。子宮頸がん検診の利用実態をお知らせ下さい。

2回目
 市教委についてはわかりました。
 さて保健福祉部に対して質問いたします。私は何故MSDが医師への不適切な金銭供与、しかも公務員たる医師もいる中で金銭供与した問題がある中で、その事実が議会に示されないのかと尋ねたら、「国の事業で行われているので、厚労省が「ワクチン接種緊急促進事業実施要領」の中で定めている事業だからこれに基づいて実施している。」と言うお答えだったかと思います。これは論点そらしの回答ですね。私は何故市議会の議論がある中で、示されなかったのかと聞いています。示さなくていいとお考えなのか。それともその時点で知らなかったのか。お答え下さい。
 国で決まっているんだから市議会でこの議論はしなくていいんだ、そうおっしゃいたいんですか。この導入は市議会で議論されていませんか。お尋ねいたします。
 さて副反応の件、実は市議会では今まで重篤な反応はないと答えてきたけれども、市教委の調査では疑いのある生徒が1人いた、そういうことですね。ただ「全身の痛みやしびれ」でなかったとのことですよね。でね、全国で副反応によると見られる患者が大勢います。その症状は「全身の痛みやしびれ」ばかりではありません。例えば良く言われているギランバレー症候群を始め、異常に眩しい、疼痛、頭に直接針を刺されるような痛みがある、突然本人の意思とは別に手足が動き出す、過睡眠などなど人それぞれです。しかし、これらの症例のある子供たちは子宮頸がんワクチンの副反応だと認定されている訳ではありません。例えば薬害エイズを例にしても、薬害と認定されるまでどれだけ時間や労力がかかったことかお解りいただけると思います。ですから、この1人を「全身の痛みやしびれ」がなかったから副反応ではないと思うのか。それとも副反応の一つの症例としていろいろとケアをしていくのかが問われています。その子に対する市の対応をお聞きいたします。
 私は回答の中で「市保健福祉部と、市教委では調査対象や調査方法が異なるるのでご理解願います。」と言う答弁。私は何も違いがあることを責めようとしている訳ではありません。だから違いがあっていいんです。いろいろな方面から調査することによっていろいろあぶり出される対象があれば、それはいいことでしょう。
 しかし、今の答弁は市の保健福祉部の責任逃れの答弁としか私は聞こえません。手法が違うから責任はないんだと言っているように聞こえるのは私1人だけですか。わたしは、そうではなくて、この違いによって明らかになった、又は明らかではないけれどもグレーであるものをきちんとケアをしていくことが大切だと思います。そこのところもう一度ご答弁いただきたいと思います。
  

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プロフィール

HN:
桜井忠
年齢:
70
性別:
男性
誕生日:
1954/02/03
職業:
苫小牧市議会議員
趣味:
書道
自己紹介:
大東文化大学経済学部卒
職歴 苫小牧市議(4期)、前苫小牧市長、元代議士秘書
室蘭市出身

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