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「さくら」通信

苫小牧市議会議員桜井忠のブログ

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柔道の高校総体北海道予選

今日から我が家の近くにある市総合体育館で柔道の高校総体北海道予選が行なわれている。
 毎朝総合体育館の角に立って小学校に通う子供たちの交通誘導をしているのだが、このような大会が開かれると車の往来が多くなり、出入り口の警戒に特に注意しなくてはならない。
 今朝立っていると30代の見るからに柔道選手のような体格の人が役員用駐車場入り口に立っていた。
 「畳を買って、今日が最初に使うんだね。」と私が声をかけた。それは一昨年の議会で、矢部夫人に教わったのだが、苫小牧の体育館には古い畳が1面しかなく、東胆振の大会すら高専や出光の体育館で行なわれていた。段差のある畳では大けがの元になる。中学校が柔道を必修にするならまず市の総合体育館の畳を整備するように質問した。それで昨年畳が新しくされ全道大会を誘致することが出来たのだ。その私の問いかけに対して若い柔道家が、
 「矢部会長が亡くなって寄付もされましたし。」と答えた。
 そうだ、矢部会長が亡くなって、生前柔道協会の苫小牧の会長として柔道界の発展を願っていたので、香典返しの一部を畳として市に寄贈されたのだ。
 きっと誰よりもこの大会の成功を矢部会長は願っていたと思う。私が競技会場を訪れると、4面を正方形に敷き詰められた畳の上で高校生はそんなことも知らずに日本の伝統競技に汗を流していた。それでもきっと雲の上から矢部会長も眼を細めて見ているものと思いました。このことを何としてもブログに記したいと思いました。
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市長と共産党

今議会は懲罰委員会と言う議会始まって以来のことがあったが、それ以前に、と言うよりもその引き金になった市長と共産党のやり取りがあった。
 その前に市長について思い出して欲しいのだが、最初の選挙の時、厳しい組合批判をしていたので多くの保守系の支持者は市長に期待して応援しました。しかし当選すると全く選挙のときの生きの良さは影を静め、私の時にほぼ決まっていたゴミの有料化もしない、勿論それには市長なりの理由があったものと思いますが結果はそうだった。しかし2期目の選挙の時、相手は市職労出身者、市長はまたもや組合批判を繰り返しました。一時は離れかけた支持者も「今度こそやってくれるのではないか」と期待して応援しました。しかし当選するとまたもや同じ、どうも市長は選挙の相手を厳しく批判するという面があるようです。
 今回は市職労出身者(民主)は出ずに、共産党が対抗馬です。その共産党にたいして、市長は事務所開きの挨拶の中で痛烈に批判しました。主旨として「意図的な反対者で今迄遅れた行革がいくつあるのか、損失はいくらなのか考えて欲しい」ということだったと思います。それはすぐに共産党議員に伝わったようで、一般質問の中でそれはどういうことかと迫りました。それに対して市長は「胸に手を当てて考えて欲しい」と名指しこそ避けましたが、聞いている者にとっては共産党のことを言っていると分る内容でした。
 でもちょっと待って欲しい、冷静に考えてください。今迄共産党は反対することはありました。しかし、それは我々多数を占めている議員が通さずに、否決してきたではありませんか。多くの市長を何とか支持していこうという議員が体を張って阻止してきたことをお忘れだろうか。また反対してきた共産党の議員も支持者がいる、それら自らを支持してくれる方々に正直にあるということが議員の資質として大切なこと。だから反対の考えがあっていいのです。市長が言った言葉は翻訳すると「私と同じ意見になれ」と聞こえました。それはファッショです。
 議員は市長との違いは1人ではなく、ある程度市民の意見が通るように複数です。執行者である市長は1人、しかしそれを決める議員は各方面の声を伝えるために複数である点、当然反対意見があることはお認めになって、自らの意見の正しさを主張して欲しいものと思います。
 市長選は挑戦者ではありません。現市長です。堂々と今まで行なってきた政策の正しさを主張してください。私も市長に対して辛口の支持者として、例えば子宮頸がんワクチンの問題など自らの主張が正しいと思うものでは市長に反対していこうと思っていますので。

懲罰委員会

昨日田村雄二議員の懲罰委員会が開かれた。苫小牧市議会始まって以来のことである。
 私も懲罰動議提出者の1人として名を連ね、懲罰委員会では副委員長として臨んだ。
 今回の動議は木村議員の質問中のヤジが恫喝的であり、議事に関係のないプライベートなことなど、汚い言葉を連発し、木村議員は3度も後ろの議長を振り向いて、議長が持っている議事整理権で注意を促した。議長も2度注意したが全く聞かず、最後は木村議員に促されて「田村議員ご静粛に」と個人名を言われ、少し静かになった。
 また過去には同じような理由で3度、議会運営委員会で問題になり議長から注意を受けていたが全く効き目がなかったようだ。
 さらに、議場以外でも人に言ってはならない言葉でののしったり、私も議会運営委員会での会派の仲間から聞いた発言に対して「おまえの選挙違反を知っている、警察に通報してやる」と別件で恫喝をかけてきたこともあります。このことは議長及び議会運営委員長には伝えているが、議会外のことなので問題にはならなかった。
 つまりやりたい放題であったため、今回のことでの懲罰委員会ではあるが、皆の中にはここに至る迄の問題が胸中にあったものであります。
 結果は民主と共産は田村議員を守ろうとして反対しましたが、他の会派は賛成し、「陳謝」となりました。懲戒には議長からの戒告、本人の陳謝、出席停止、除名(辞任)があります。議長からの戒告は今迄3度厳重注意があっても効かなかったので意味がありません。出席停止や除名は彼も彼を選挙で選んだ市民がおりますので、いきなりその権利を剥奪するというようなことは出来ないもの、つまり妥当な判断だと思います。
 さて、民主は仲間であり守ろうとすることは、事の善し悪しは別としてそういう選択はあろうかと思います。しかし、共産が反対した事はよくわかりません。共産が終始問題にしていた、「2度は効かなかったが3度目に注意してから静かになったので注意は効いたので問題ない」は、私たち田村議員の発言を問題として出した動議は途中で静かになったかどうかは問題ではない。その田村議員の発したヤジが何度も聞くに堪えないものであったのが問題なのだから、彼らが寄って立つ理由は成り立たないと私は思っています。立場は違えど私は渡辺議員を尊敬しておりましたが。今回の判断は非常に残念です。

6月議会質問 3

3. 特定規模電気事業の導入について
 最後に、新電力(PPS)の導入についてお尋ねいたします。市は財政も健全化が果たされてきておるようですが、しかし行革は不断の対応が必要なものです。これからは行革を進めて無駄な支出を抑え、そうして新たに対応しなければならない問題に支出する、お金を必要とする行政課題は今後も続きます。
 そこでPPSですが、確かにその効果は比較すると大きな削減割合は期待できないのかも知れない。しかし、電気はどの施設でも使いますのでこれが少しでも安く済めば、結果全体としては大きな削減金額になります。そこでPPSは避けては通れません。わたしは新しいものを導入するのに慎重な行政のことですから、なかなか導入されませんが、まずすべての建物、施設を対象に導入出来るのですが、敢えてどこか試験的に導入し、その結果を見て、どういう施設に導入すれば効果があるか判断してみてはどうかとおもいます。市にその考えがあるのかどうかお聞きいたします。

2回目
 PPSについては分りました。特に市長選を前にした議会ですから次の方向性を出しにくいこともあるでしょう。そこで市長選挙後に新行革プランを策定するのだと思いますので、その時には是非計画の中に入れるということでよろしくお願いいたします。これは要望で結構ですが、もしもお答えがあるならよろしくお願いします。


6月議会質問 2

2.市の出資法人、及び市派遣役員について
 次に、市が出資している企業がありますが、その中で特に役員を派遣している企業があります。やはりそれはそれなりの理由があってのことだと思います。このことも私の考えとは若干違う部分がありますがそれは今回はあえて問いません。
 さてそれら企業の中で苫小牧ガス㈱があります。そこは以前社長を市の助役経験者が務めておりました。正確に言えば鳥越元市長の時に社長に選任され、私が市長の時に退任されております。そういう意味では現在の岩倉市長に関係のない話しのようですし、勿論私が市長の時に分っていれば正すべきだったのですがこの実態を承知しておりませんでした。しかしガス料金は公共料金ですので正すべきところは現在でも正していただきたく質問いたします。
 それは市から派遣して社長在任時に、個人的なアパートを建て、そこをガス会社の社宅として会社に借り上げさせたものです。登記簿を見てみますとその土地は平成15年12月11日に売買されております。それが平成16年1月26日に登記完了しています。それと同時に信金から500万円の抵当権を設定さています。そこの土地に建物を建て平成16年8月4日に500万円の1番抵当権と1500万円の2番抵当権が設定されています。これは土地と同じく抵当権を設定したものと思います。それが平成19年3月12日に2番抵当権が抹消され、平成21年2月17日に1番抵当権が抹消されています。これは明らかに普通のアパート建設に対して早い弁済です。しかしこのような市から送り込まれた社長が社長在任中にその地位を利用して個人的に自己の資産の運用をするようなことはするべきではないと思いますがどのようにお考えでしょうか。
 私は公共料金の苫小牧ガスですから、市民から疑念の眼を持たれることはするべきではない。アパートの契約は即刻解約するべきだと思いますがいかがでしょうか。市のお考えをお聞きいたします。

2回目
 苫小牧ガスの件ですが、現在も副市長が取締役になっていますね。早急な調査の元正しく判断されることを期待しますが、取締役である副市長の答弁を求めます。

6月議会質問 1

1. 市民の健康
(1).アスベスト問題について
 通告に従って質問いたしますが、その前に質問の1番市民の健康の(1)アスベストにつきましては、共産党の渡辺満議員が詳しく質問いたしましたので取りやめます。


(2).子宮頸がんワクチン問題について
 次に、子宮頸がんワクチン対策についてですが、今までは子宮頸がんワクチンの有効性などから接種するべきでないという主旨で質問してきましたが、今回は副反応が出た場合のことを中心にその対応をお聞きいたします。
 子宮頸がんワクチンの副反応が出た場合の治療費、及び生活費ですが、実態はものすごく大変です。本人は学校が行けなくなり、しかし病気が治ったことを考えて止めるわけにはいかない。だから学校を通学が無理な中で休学しても学費だけでも継続して支払われている。または当初入った学校を辞め、新たに別の学校に入ることによって入学金がかさんでいますし、公立高校から私立の高校に入学しなおす。母親は娘から目が離せないためパートにも出られない。本人の病院代は原因が分からない、または今までに医者も経験したことのない症状が出ているので効く薬が分らず、いろいろと試している。病院もいくつも替わる。その都度大変なお金がかかります。これに対する医療支援はどうなっているのでしょうか。
 昨年4月から定期接種となりましたが。定期接種後の医療支援とそれ以前の医療支援はどう違うのか。金額としていくらくらい貰えるのかお答え下さい。
 この経費の問題に対して横浜市では①横浜市が実施する子宮頸がん予防ワクチンを受けた方、②接種後に原因が明らかにならない持続的な痛みやしびれ、脱力、不随運動等の症状を有し、日常生活に支障が生じている方、③接種後の症状について横浜市に相談された方が対象で、これらの方に医療費の自己負担分。及び通院3日未満または入院8日未満に33,200円。通院3日以上もしくは入院8日以上が35,200円。同月中に通院・入院があった場合には35,200円が支給されます。私はこれだけ副反応が報告されているワクチンを接種させておいて、副反応に苦しんでいる家庭が出た場合、市は「知りません」ではいけないことだと思います。早急に制度設計して実施するべきだと思いますが市のお考えをお聞きいたします。
 次に医療支援制度を利用するための申請ですが、現状では1年半、申請してから認定されるまでかかるようです。これをもっと短くする必要があるのではないか。これは市がしている訳ではありませんが、患者さんの窮状を考えると市として国などに申し入れるべきではないのかと思いますがいかがでしょうか。
 さて、子宮頸がんワクチンを止めるために、私は子宮頸がんの検診の充実が必要と考えています、その理由は何度も披瀝しておりますので今回は省略いたします。さて、市ではその検診事業、クーポンで行なっていますが検診事業の実態をお知らせ下さい。私は先日来た封筒を見て思ったのですが、正直言って20歳の女性に検診を勧めるのはどうかなあと思います。なかなか女性は行きたがらないのではないか。非常にデリケートな問題であり、だからこそ事務的に20歳に必要だからするではなく、その立場に立った対応が必要だと思いますがいかがでしょうか。
 先日鎌倉に視察に行き、子宮頸がんワクチンのことを勉強してきました。ここは一番先に接種者全員の調査をした市ですし、苫小牧と同じく人口17万人と同規模の街です。この視察で苫小牧市も調査をするべきだと、さらに強く思いました。これは再度の質問になりますが再考する考えはないのでしょうか。
 同日に参議院議員会館で「子宮頸がんワクチン 聞いてください!被害者の声」という会議がありました。そこで配られた資料は市の担当のところにコピーをお渡ししましたが、それを見ると北海道も東京も全国同じように言っていることですが、ワクチン接種後急に体調が悪くなりどこの病院を尋ねても原因が分からない。検査しても数値に異常がでないのです。そんな時医師から「詐病」扱いされ、「異常がないのに病院を受診されても困る」「テレビを見てまねしているのでないか」「痛い痛いと言い過ぎ、ちゃんとやろう」など、具合が悪くて受診していることに全く無理解で、終いには母親に対しても「お母さんが騒ぐから子供がその気になるんだ」と言われる始末です。この調査で医学で見つけられない異常があるということを全国で証明していますので、このことを市内の産婦人科に広め十分な対応をしているとは思いますが、より丁寧な対応をするために市から市内産婦人科に要請していただけないでしょうか。またはこの資料を渡して注意を呼びかけるということでも結構です。そのことをするお考えがあるかどうかお答え下さい。
 最後に現在子宮頸がんワクチンを再開するかどうかの検討が厚生労働省の副反応検討部会で行なわれています。議長のお許しを得て今回皆様に資料をお渡ししていますのでご覧下さい。また安全対策調査会の5名についても記載したかったのですが、最新の利益相反の申告がありませんでしたので記載しませんでした。昨年の資料を見ますとこの10人とさして変らないような結果であることだけご報告いたします。
 さて、ここの委員は10人中8人が子宮頸がんワクチンを作っている会社からお金、それは講演料や研究費という名目ですがもらっています。しかも昨年この問題が注目される中でさえ2名の方がその金額が増えているという事態は無視できません。これは中央の問題で、市議会で質問するのはどうかとも思いましたが、しかし副反応検討部会での決定で再開が決まりますと、今迄の答弁で言うと市も右習いで実施するようになるのでしょう。しかしその場合副反応で住民の矢面になるのは一番市民に寄り添う市であります。ですから市は慎重に検討するべきであり、このような利益相反する人に審議させないように国に申し入れをするべきだと思いますがいかがでしょうか。

2回目
 今それぞれご答弁がありました。まず子宮頸がんワクチンの問題から再質問いたします。最初に定期接種後とそれ以前での健康被害の補償内容ですが、まずワクチン接種が原因と認定されることが前提ですがこれがなかなかハードルが高い。副反応自体が新しい疾病であり、医師も認めないということがあると思います。その上でこの差額を補填するべきでないかと思いますがいかがでしょうか。
 また、医療支援制度の認定まで一定の時間を要すと答弁がありましたが、先程言ったような状態の中で1年半という期間は大変大きいものと思います。これを少しでも短くする方策はないのか再度お尋ねいたします。
 6月3日の杉並区議会保健福祉委員会で、「子宮頸がんワクチン健康被害の対応について」の報告があり、区が449,600円の補償を患者さんにしたことの説明がありました。このように横浜市だけでなく補償をする市町村が増えてきています。是非苫小牧市もお考えいただきたく思いますが、しかし今の答弁では市はその考えはないようです。しからば現在はないけれども今後他市町村の動きを見て検討するということにもならないのでしょうかお尋ねいたします。
 さてその中で、杉並区が厚生労働大臣あてに要望書を出したことについても報告されました。求めたのは以下の通りです。
⑴.副反応検討部会における検討をさらに精力的に進め、できるだけ早期に子宮頸がん予防ワクチンによる健康被害の原因究明と対応方針について提示すること
⑵.ワクチンとの因果関係が否定できない持続的な疼痛等の健康被害に対しては、法定接種・任意接種に関わらず、総合的な診療及び相談支援体制の充実を図ること。
ですが、この杉並区と同様の要望を国に求める考えはないのか、いかがでしょうか。
 さて、20歳の検診ですが、あの診察台に乗るのは妊娠した段階では乗らなければならないと諦めますが、そうでもなければ乗りたくないというのが私の考えです。また親も健康で何も自覚症状もない段階で産婦人科に連れて行ってあの診察台に載せることは、なかなか出来ないことだと思います。何か自覚症状がある人なら20歳でも仕方がないのかもしれませんが、何もない人にとっては20歳での検診に抵抗があるのではないかと思います。まあ20歳の検診が駄目という気はありませんが、私の考えはごく一般の考えではないのかと思います。
 私個人の考えとしてお聞きいただければと思いますが産婦人科という名前ではなく、レディースクリニックというような名称の、女性の問題全体を見てくれる病院に女性の医師が大勢いて診てくれる。妊娠したかも知れないと検診にいった時に子宮頸がんの検査もしてもらう。それ以外の人は30歳でいいのではないかと思います。これは私の考えということで回答はいりません。せめて市民の病院たる市立病院はそうなって欲しいものと思います。
 さて、ワクチンの全員調査の問題ですが、これも市はする気がないようですが、私の考えですが鎌倉が接種者の全員調査をしたのなら、苫小牧市は接種していない人にも全員の調査をしてみてはどうかと思っています。それはただ単に調査をした数字が欲しいのではなくて、記名式にして、何か体調の変化などがある人、例えば生理不順などがある人等をピックアップして、女性の産婦人科医を紹介するなど個別に対応するというようなことを鎌倉市ではして効果を上げています。苫小牧でも同じように市民を細かく把握し、いち早く対応をするために、各個人の調査は必要だと思います。そうすることによって痛みが原因とする心因的な問題という厚労省の検討部会での指摘の根拠が明らかになると思いますがいかがでしょうか。
 また、資料を医師会に情報提供してくれるということは感謝します。よろしくお願いいたします。
 最後に利益相反の問題、これは例えばプロ野球の試合で審判を片方の球団からお金をいただいている人でするようなものです。公式の試合でそのようなことは行なわれない。観戦するサポーターはそのようなフェアでないことは許しません。サッカーのワールドカップでも審判は中立な第3国が決まりです。それが正しいと思うのですがいかがでしょうか。
 さらに昨年この問題を審議している最中に渡されたお金が増えている方が2名もいるのです。市はこれが正しいと認識しているのでしょうかお尋ねいたします。私はそういう意味でも市が厚生省に疑義をもたれない人選をして審議するように申し入れをするべきだと思います。50万円以上貰うと採決に参加できませんが、3人も議決権のない方が審議しているなんて異常です。

3回目
 今回の質問でも、今までの質問でも終始一貫としているのは市が出来ることでも、何もしないということです。何故なんだろうか。
 市長の後援会長は医師会の会長だったと思いますが、医師会、産婦人科学会では接種再開を進めております。確かに個人病院としてみれば、特に産婦人科は入院をほとんどが止めておりますので、このワクチンの定期接種は大きな収入源となります。まさか市長はそれらの声を代表して市の態度を貫いているのではないか。と疑ってしまいます。私はこれだけ社会問題化していることですので、厚生労働省にきちんと審査してもらう。その際利益相反するものはのぞいて、国民から疑いがもたれないようにする。このワクチンを打って被害になった人のためにその被害救済をきちんとする。認定まで1年半かかることを早くするように要望する。それって特別なことではないごく普通のことだと思います。そうして、市長の後援会長が医師会長だからこそ、そういった点で誤解をもたれないようにするべきだと思いますがいかがでしょうか。

三枝三郎先生の想い出 2

三枝先生の想い出で忘れてならないのは、鳩山由紀夫元総理を北海道に連れてきたことだろう。
 昭和58年12月の選挙で落選した三枝先生は、そのまま引退するのか、もう一度衆議院を目指すのか迷い姿をくらました。残された地元市町は年末の予算策定時期に落選したとはいえ元代議士として各方面への陳情に充てにしていたのだがどこにいるのか分らない。新聞記者は当時自民党室蘭の幹事長をしていた私の父の元に取材にくる。父も分らないと答えるしかなかった。
 落選した三枝先生は司葉子の夫である相沢氏と鳩山の父である威一郎と「さんちゃん」「あいちゃん」「ポッポちゃん」と呼び合う程仲が良かった。そこで「あいちゃん」と「ポッポちゃん」が「さんちゃん」を励ます夕べを赤坂で開いた。そこで三枝は正直に胸の内を打ち明けた。鳩山威一郎氏は「二男が政治の道に進んだが、長男は学者になってくれて良かったと思っていたが、今度は長男も政治家になりたいと言って困っている。政治家は大勢の皆さんのお世話にならなければならない。一家で3人も国会議員になるなんて許されないだろう。」と語った。それを聞いた三枝は「もしよければ由紀夫君、私の後継者にならないだろうか。」当時東京から参議院議員に出るか、東京1区が分区する前の祖父の選挙区なので、そこから出ようかなどと考えていた由紀夫だった。「それは本人に聞いてみなければ分らないけれども、帰ったら話しをしてみよう。」ということでその日は終わった。
 日を改めて音羽御殿に呼び出された由紀夫はその話しに飛びついた。そこで三枝氏に電話して「よろしくお願いします」と頭を下げた。「それじゃ私の選挙区は南條先生から引き継いだので南條未亡人に挨拶に行こう」。目黒の南條家を訪れたが、南條未亡人は「私は三枝先生の後継者に何も言うことはありません。ただ、選挙区の皆さんに応援してもらわなければならないので選挙区の皆さんが良いという方になっていただきたい。」と言った。三枝が帰ってから南條未亡人はすぐ南條の地元秘書だった、私の父に電話しそのことを伝えた。
 父は毎日のように新聞記者に尋ねられていた。そこで、鳩山を念頭に置きながら新聞記者に「三枝先生がどのような進退なのかは分らないが、もしも新しい候補となると地元として3つの条件がある。一つ目は三枝先生は副知事から国会議員になったが、それでは遅すぎる。将来大臣を3回も4回もするためには若い候補でなければならない。2つ目は今地元室蘭は経済的に大変厳しい。だから選挙資金をすべて集めるのも限界がある。中央に資金的なパイプがある人が望ましい。第3点目はこれからの政治家は世界相手に活躍しなければならないのでそのような国際感覚が求められる。」と発表した。鳩山を受入れるための地ならしをしたのだが、そうとは知らないマスコミは桜井の3条件として書き立てた。
 父のところに三枝から手紙が届いた。それに対して父は「鳩山を受入れるためにも手順がある、それは南條が三枝を後継指名した時と同じように進めたいので、地元のことはまかして欲しい」とした。三枝は「鳩山家とのパイプは東洋実業の社長が握っているのでそこと打ち合わせて進めて欲しい」とのことだった。私は東洋実業の社長に呼ばれた。今のような携帯電話もない時代の話しです。「桜井君、三枝の後継に鳩山家の長男坊を出したい、そこで鳩山一郎の書生だった私が北海道の鳩山家の窓口になり、地元は桜井君(私の父)にまかせる。お前は内の社員であり桜井君から見れば息子だ、だから腹蔵なく話せる、2人の間の連絡役になって欲しい。やがて由紀夫ちゃんが北海道に来た時には秘書になってもらうからな」。
 当初地元市議会議員も年長者は賛成をしていたが、若手には反対が多かった。それを丁寧に口説いた。マンションも常盤町に求めた。常盤町は旧南條家や栗林家、自民党支部長の家があった中心住宅街だった。私は三枝の運転手のようにして一緒に選挙区各地を回って鳩山の地ならしをした。そおして迎えた三枝連合連合会、札幌の東急ホテルで行なわれた。それに先立つ数日前、作戦本部を京王プラザのスイートを借り切って町村金吾氏、地崎氏などへの挨拶。連合後援会長に予定している高橋賢一氏に来てもらい。議長には会議が荒れた時を考えて芳賀昭雄氏(後に政策秘書になった芳賀大輔氏の父)、そして三枝氏が選挙で負けた後の総会なので、気勢を制するように私の父が冒頭地元を代表して謝罪するような作戦を立てた。みごとその作戦は当たり、いろいろ不満があったのだが、その先に地元で謝られてはそれ以上の追求はなく、無事に鳩山を推薦することが出来た。
 その後のことは地元皆さんの知るところですが、三枝先生は51市町村すべてを鳩山と回り、自分の後援会を鳩山に看板の書き換えをした。しかし、それ以上は鳩山の邪魔にならないように身を引きました。東洋実業の東京本社で会長としてその後も活躍していたようです。以前札幌で社長に聞いたところ「たまに出社して、ゴルフなんかしていてもいいのに、真面目に出社している」と正に三枝先生の面目躍如と言ったところでした。私も以前上京した際、「是非一緒に飯を食べたい」とご招待を受け、昼食をごちそうになりました。政治家らしくない、いい先生でした。

三枝三郎先生の想い出

今日も三枝先生の想い出を書き込もうと思います。
 先生は偉ぶらない方でした。地方議員は多くが永田町から近い議員宿舎に入っていますが、三枝先生は東久留米から西武線と地下鉄丸ノ内線を乗り継いで通っていました。特に部会や勉強会があるときは8時までに議院に来る、そんなときは奥様手製のサンドイッチを弁当代わりに持っての出勤です。
 運転は戦後すぐに免許を取っているのでベテランですが、国会の秘書が免許取り立て、「お前には危なくて運転任せておれない」と自分で運転していました。あるとき陳情者を役所に連れて行くということで議員会館一階に出ると、係の方は議員の顔を覚えていて車の呼び出しをする。
「三枝三郎先生のお車」
 普通は、そうすると待機していた車が呼び出され玄関で待つ代議士を乗せていくのですが、先生はまっすぐ駐車場に向かい、自分で運転して玄関で待つ陳情者と秘書を載せて行くという笑い話のような本当の話しです。
 事件が起きたのは平成58年の選挙、妹背牛町。私が街頭演説の司会をしていました。本人の演説も終わり、残すは万歳三唱、時間は大分押している。万歳の発声は町長の代理で街頭演説に出てきた助役。
「それでは必勝を期して。高橋辰夫先生バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ」
『アッ』と思ったが、本人を見ると自分を指差して、
「僕の名前言った?言った?」
しかし大勢の聴衆の前でけんかをする訳にはいかなない。全員を車に乗せてその場を離れた。街を出て田んぼ道になってから、当時携帯電話がないので無線で秘書を呼び出し、わたしは必要以上に怒鳴りつけた。実はこれは私も演技だが、候補の気持ちを考えて、候補に無線をさせるのではなく、私が怒鳴ることで候補を落ち着かせたのです。まだまだ想い出がありますが、それはまた次回にしましょう。

三枝三郎先生の訃報

元衆議院議員三枝三郎先生が亡くなったと新聞に出ていた。100歳だったと言う。
 私が東京から北海道に帰ってきて、札幌の(株)東洋実業に就職した、その年(昭和54年)の秋に総選挙があった。三枝三郎の遊説隊長が私の父。選挙が告示されると男性で遊説が出来る者がいなかったので父が三枝三郎に言った。
 「こんな状態では遊説にならない、うちの息子が(株)東洋実業にいる。社長はあなたの有力な支持者なので電話してすぐ応援に呼ばないと選挙にならないよ。」
 私はその日すぐに副社長に呼ばれ、「今すぐ芦別に行き、三枝の応援をしてくれ」と言われ、女房に着替えを届けさせ、夕方発の芦別行きの列車に乗った。
 以来選挙の度に遊説隊の実質的な責任者として呼び寄せられた。翌55年の選挙の後には三枝三郎が私を秘書にしたいと、社長にお願いをしたらしい。しかし社長は断った。後で社長は「三枝は年齢的に大臣は出来ない、秘書になるならもっと大物の秘書にならなければ。」と言っていた。しかし私のことを買ってくれていたことに感謝はしている。
 三枝先生は非常に真面目な方だった。子供のように純粋で演説ベタで、しかし仕事はしっかりとする方だった。空知の田んぼの中を選車が走っていると眠気が襲ってくる。見ると候補が居眠りをしている。私は大きな声で「遠くの田んぼの中で手を振ってのご声援有難うございます。」と言うと、慌てて「どこにいるのかと」目を大きく見開いて手を振っている。それが面白くて次には、「有難うございます。三枝三郎感謝の気持ちで一杯です、両手を振ってのお願いです。」するとあわてて両手を振る。私はさらに図に乗って次のチャンスを狙う。「有難うございます三枝三郎車から身を乗り出してのお願いでございます。」、そういわれると本当に窓から上半身を外に出して手を振っていた。こんな正直な候補は見たことがない。その時私は25歳、三枝三郎は60代後半だった。
 またこんなこともあった、美唄周辺の田園地帯を回っている時、踏切が鳴って停車した。「先生、車を降りて手を振って」私が言うと三枝候補は車を降りて列車に手を振る。また少し行って踏切で警報が鳴る。「先生、また列車が来たから降りて」というと、あわてて降りていって手を振ると貨物列車だった。
 やはり、先生の大きな思い出は鳩山由紀夫を北海道に連れてきたことだろう。東洋実業の社長も三枝の秘書には出さなかった私を鳩山の秘書に出し、私が秘書第1号になった。
 まだまだ沢山の思い出、笑い話があります。しかし今日はこのくらいにしておきましょう。私が思い出を語って、誰かが笑ってくれることが、せめて三枝先生の供養になるものと思います。
合掌

議員会館1

昨日帰る前、午前中に知り合いの議員会館を回りました。
 まだ選挙後挨拶に行ってなかったから、挨拶のあとに何で上京したのかと話を子宮頸ガンの方に持っていきました。不在の人も多かったけど、どうも反応が悪い。
 まず第一に、厚生省の部会以外の方には余り理解がない。さらにリスクと利益を考え、副反応が少ないからそれは個別に対応して接種は継続するべき、副反応の人の声に対応するのは市議の役目、国会議員は国全体の利益を考えている。と被害者を数としか見てなく、まだまだだなという感じでした。
  

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プロフィール

HN:
桜井忠
年齢:
70
性別:
男性
誕生日:
1954/02/03
職業:
苫小牧市議会議員
趣味:
書道
自己紹介:
大東文化大学経済学部卒
職歴 苫小牧市議(4期)、前苫小牧市長、元代議士秘書
室蘭市出身

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