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「さくら」通信

苫小牧市議会議員桜井忠のブログ

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子宮頸がんワクチンに替わるもの

さて、今まで子宮頸がんワクチンの接種を止めようと言い続けてきました。
 しかし止めるだけでいいのか、という反論もあるでしょう。私も子宮頸がんワクチンに替わるものを考える時、やはり検診の充実につきます。しかし、小学校を卒業したばかりの子供を検診台に上げていいのか、親も連れて行けるのかといったら出来ないでしょう。あの台に乗って渋々でも検診を受けるのは少なくても妊娠して検診を受けるときからでしょう。もしも、最初の検診が妊娠の時とすれば年齢は早い人もいますが、平均30歳になってしまいます。それで遅くないのか。
 また、産婦人科というネーミングも敷居を高くしているのではないでしょうか。最近増えていますが「レディースクリニック」など、女性を担当する専門病院という感じに変えていかなければならないと思います。
 さらに国レベルの取組として、女性医師をもっと増やして、男性ではなく女性に見てもらえるような体制を考えること。女医の養成に子宮頸がんワクチンの予算を流用してもいいのではないか。
 出来ることなら将来血液検査で分るようになるか、妊娠検査キットのように医師に見てもらう以前に自分で検査できるようになればいいのですが、製薬会社もそのような薬品の開発を急いで欲しい。いろいろと取組が考えられます。
 また、何より大切なのは、子宮頸がんワクチンの被害者の多くが言っていますが、医師の言葉で皆追いつめられています。患者も家族も訳の分からない病気になって、すがる思いで医師の診断を受ける訳ですが、その時患者に対しても、親に対しても、心因性だ、詐病だ、テレビを見てまねをしているだけ、お母さんも大変だと騒ぐから子供もその気になっているんじゃないのか。などと追い詰められています。でも医学で分らないことは沢山あり、自分の今までの症例でなかったことが患者の仮病のように言われる筋合いはありません。このような医師は再教育しなければなりませんし、社会が「ノー」と言って市場経済の中で淘汰したいものです。
 そして何より大切なのは教育です。ただ単に道徳教育・純潔教育だけでなく、母体教育、きちんと子宮頸癌のリスクを伝えて、それを乗り越える検診の大切さを教えて欲しい。
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子宮頸がんワクチン被害者の症例発表(院内集会)

今日は鎌倉に視察(子宮頸癌ワクチン接種者の全員調査について)後、夕方5時から子宮頸がんワクチン被害者の症例発表(院内集会)を聞いてきました。
本当に大変な中、母親が発表しました。特に今回は病が進み記憶障害が多く報告されています。自分の家族の顔が分らない。自分の家にいて他人の家にいるようで落ち着かない。自分の母親はどこにいるのだろうかと心配する。そしてやがて自分のことも分らなくなるのではと心配する。そんな自分を殺してくれと自らを打ちつける。地獄のようです。でも母親だからそれでも看病し、脳が壊れたのではない、薬のせいで接続が混乱しているのだと信じて進んでいます。その訴えが切実に響きます。

製薬会社の友人の話し

28日上京し、ある大手製薬会社の友人と話しをしました。彼は某旧帝大の大学院を卒業して、現在50歳位。それなりの立場におります。
 彼が言っていました「子宮頸癌だけの話しではないんだけど、日本は先進国の中でワクチンに関しては後れていたので、国を挙げ、官民共に、税金を投入してワクチン開発をしてきた。だから少々のことでは国がその方針を変えることはないんだろうし、そのために国が間違いを認めることはないんだろうな。」
 そうか、折角の方針を転換する種であっても認めることはしないというものです。確かにそういう理屈でないものが働いているような気がします。
 さらに彼は言った。「治験は健康で何ら問題のない人で行なわれる。しかし定期接種となればいろいろなリスクを持った人が全員接種する、ある意味当然おかしなことが起こる可能性は高くなるんだ」問題のない人だけでなく、いろいろな方で治験しても大丈夫というのがいいのだが、今の日本ではそのようなことはない。
 しかし今日のお話では日本では充分な治験さえ行なわれていないと言うではないか。また、定期接種になった時国会ではこのワクチンだけでなくヒブなど3本のワクチンが議案となっていた。だから反対をするとヒブなどのワクチンも反対することになる。まさに日本のワクチンにとってそれは出来ないという精神的なプレッシャーがあったようです。何か、理屈でも屁理屈でもこのワクチン行政を続けるという意思が感じられます。

ウトナイの名所

昨日(5/28)、上京の前にウトナイの三星でお土産を買った。ソフトクリームの券を5枚貰ったので、以前貰っていた券5枚と合わせてソフトクリームを休憩所で食べましたが、食べながら奥の壁を見ると版画のようなものが貼っている。食べ終わってから近づいてよく見ると竹下夢二の木版画やエッチングです。こんなところに、誰も見ることなく(失礼)名作の数々が飾っているのかと驚きました。皆さん是非行って、間近に自分の眼で見てください。それだけの価値がありますよ。

同窓会

先日の日曜日(5/25)室蘭東中学校の同窓会が登別の温泉で開かれました。6年ぶりの開催で皆60歳を超えて集まったものですが、現住所が分る者に案内をし50人程集まりました。確か当時の在籍生徒は6クラス250名くらいでしたから、ちょっと寂しいですが、卒業から45年経って全国に散らばっている卒業生を追跡して案内してくれた幹事に感謝です。
 温泉での会ですので、宴会が始まる前にお風呂にいくと、何となく顔に記憶がある人たちが入っている。「やあ、やあ。」と声をかけるがその頭はある者は真っ白に、ある者は薄くなり、体つきもすっかり若さが失われていた。その時自らを顧みて「きっと私も皆の眼にはそう映っているのだろう。」と感じました。
 宴会は各クラスの幹事を代表してオリンピック選手だった船山雄次君が挨拶し、乾杯の音頭を私が発声して会が始まりました。実は別な幹事が乾杯の役を予定されていたのですが、当日私にやれということでしたので、選挙に出ている私に出番を作ってくれたことに友情を感じながらその言葉に従いました。宴会ではそれぞれ全員に酒をつぎながら話しをしていると、あっという間に時間が過ぎてしまいました。中学校の時には話したことはあるがそれ程親しくなかった人が、「たまにブログを見ているよと。」と言われて驚いた。同窓生は同窓生というだけで心配してくれているんだと感謝でした。また船山雄次君からも彼のことをブログに書き込んだことがありましたが、彼もそれを読んでいたことが分りました。悪いことを書いた訳ではありませんが、アップする前に彼に了解を取っておくべきだったと反省しながら、酒の席で事後承諾のようになりました。
 今回は遠くは宮崎や千葉からわざわざ駆けつけられました。当時は人口16万人と現在の倍近かった。それだけにほとんどが同じ住所の者がいない。それだけではなく、当時東中学校の校区は日本製鋼所の社宅街でしたが、社宅がすべて無くなっていますので、親も登別などに家を建てて引っ越しております。国鉄の官舎も同じです。それだけに幹事の苦労は計り知れません。また、会が始まる前に3人が亡くなったために黙祷をしましたが、前回同窓会までに亡くなっている人を含めると1割を超える方が亡くなっています。徐々にそういう年齢になってきたということでしょうか。
 60歳を超えて現役として働いているのは私のような市議会議員や自分で商売をやっている者などほんの一握りです。そういう意味で私にやりがいのある仕事を与えてくれている市民の皆様に改めて感謝をしています。

映画「じんじん」苫小牧上映会

もっと早くご案内すればよかったのだけれども、まだ、まだと思っているうちにすぐ近くになってしまいました。とってもいい映画で、特に子供たちに見せたい映画です(子供と一緒に見ると泣き顔を見られてしまうことに注意!)。

映画「じんじん」苫小牧上映会

2014年6月1日(日) 苫小牧市文化会館ホール

①10:30~12:40②13:20~15:30③16:00~18:10④18:30~20:40

(開場はいずれも上映開始時刻の30分前です)

前売・当日ともに(大人)1,000円、(小・中・高) 800円

※チケット販売窓口/苫小牧市文化会館(旭町)
       /コープさっぽろ市内各店舗
       /苫小牧観光協会(JR苫小牧駅ビル2階)
       /シネマトーラス(本町・苫小牧中央ボウル1階)

主催/映画『じんじん』苫小牧上映実行委員会
後援/苫小牧市、苫小牧市教育委員会、朝日新聞苫小牧支局、苫小牧民報社㈱、北海道新聞苫小牧支社、読売新聞社㈱苫小牧支局、苫小牧ケーブルテレビ、苫小牧読み聞かせ文庫活動連絡会

子宮頸がんワクチン被害者「M」さんのこと2

このブログは先にアップした「M」さんのことを、別な方が書き込んだものです。
この方のお嬢さんもMさんと同じ病院に同じ子宮頸がんワクチンの副反応で入院されています。

以下、今、長女と同じ病院に検査入院されてる被害者の方の事を書かせていただきます。

1人でも、このブログが目に止まり、うちの子もそうなんじゃないかと気づいてくれる方がいるかも知れないとお父様に快く承諾をいただきました。
ぜひ拡散してください。




子宮頸がんワクチン接種後、副反応が出ている方、Mちゃん。

1番酷い症状は記憶障害です。
この1ヶ月で急に記憶障害が酷くなったと。
それまでは車椅子生活だったけど、記憶障害は酷くなかったのに、ある日発作のように失神した後から酷い記憶障害が出たとの事です。

入院された時、私たちも同じワクチン被害者ですよと挨拶し、いろいろお話をさせていただいた。

Mちゃんも、会話に加わり、その人知ってます。
どこどこの病院で会いましたと。

自分の意見もはっきり言い、覚えてる事も詳しく話せる。

その時は、お父様もびっくりするくらい今日はよく喋るな~と。

でも次の日、昨日話をしていた私たちの事も覚えていない。
知り合いですかと聞いてくるMちゃん。
友達だよと、言うと、そうですか。
またしばらくすると、お友達ですかと、やはり記憶障害が。


そして今日、東京から被害者連絡会の池田さん達が病院に来られた。

池田さん達は前からMちゃんと面識があり、記憶障害が出る前のMちゃんを知っている。
今のMちゃんを見て、涙、涙

何で泣いてるんですか
誰かにいじめられたんですか
急に大勢集まって話をしていたせいか、興奮したのか、ちょっとパニックに。

殺処分しに来たんですか
やめてください。警察呼びますよ
警察の番号何番だったかな
1番3番
でも数字もちょっとわからないので…と。

隣にいるお父様を見て、このおじさん誰ですか
知らないおじさんが隣にいてびっくりしました。

Mちゃんと呼んでも、
Mちゃんって誰ですか
ちょっと知らないので…

ご家族、どなたの事も知らない人になってしまった
自分の名前も忘れてしまっているMちゃん。
おばあちゃんも来てくれてたけど、おばあちゃんとわからない。

でも、おばあちゃん、お花が好きだからプレゼント買いに行きたいけど、行けなくて…と、おばあちゃんがお花が好きだって事は覚えてる。

悪い人がいたら、警察を呼ぶって事は覚えている。
でも、警察を呼ぶ電話番号がわからない。
数字もわからない。

そして、次の日にはこの会話も全て忘れてしまっているとお父様。

同じような症状が出ている人の話は聞いた事がありますが、実際、目の当たりにしたのは今回が初めて。

自分の大切な娘が、自分の事も忘れて、あなた誰ですかと言われる毎日。
どれほど辛い日々か…

お父様の気持ちを考えると私も涙が止まりません。
が、泣いているとまたMちゃんが不安になってしまうのでと我慢。

医師になる目標があり、とても聡明なMちゃん。
少し前までは、被害者の中でも頼りになるお姉ちゃんだった。

でも、今は携帯の使い方もわからない。
自分の事も家族の事も忘れてしまっている。




未来ある女の子の将来をめちゃくちゃにした子宮頸がんワクチン。

家族も傷ついている。

記憶を失くしてしまうようなワクチン。
全身に強い痛みが出るワクチン。

本当に必要ですか

治療法もまだ見つかっていない。
被害者や、被害者家族を救済するものも何もない。

それでも、このワクチンを打ちますか

子宮頸がんワクチン被害者「M」さんのこと

自分の娘が、このワクチンのせいで親の顔さえ分らなくなるなんて、この現実あなたは耐えられますでしょうか。この娘の声なき叫びを聞いてください。子宮頸がんワクチン被害者連絡会の中心人物、池田事務局長の書き込みです。

往復5時間かけてS県センターから戻り
自宅に戻った。

テレビを見ても、本を読んでも、脳裏に焼き付く、「M」の顔が。

こりゃダメだと思って事務所に戻り、書き始めています。


このワクチンのことを訴えはじめて最初に出会ったのがMだった。

大学に進学して、足を引きずりながらバイトをして自らの生活費の糧にしていた。

立川の下宿先から多摩のバイト先まで1時間半かけて到着する、と笑って話していた。

50箇所くらい探してやっとバイト口を探したと。

医者になりたかったと言うくらいだから頭が良かった。

ワクチンを接種しながら徐々に体調がおかしいと医者に訴えたが、気のせいだと誤誘導されながらフルコースで打った。

出会った頃には左半身を引きずり、自由が利かない。

テレビや雑誌の掲載もひとつ返事でOKしてくれた。

病院はもとよりあちこち連れて回った。事務所にも一番多く来ていた子だった。

やがて学校に通えなくなり実家に戻り音信も途絶えがちになっていった。


ロットの呼びかけに応じないことに気がつき一昨日連絡をした。出ない。胸騒ぎ。

おばさんに連絡を取り調べてもらうと、病院(?)でリハビリ中倒れたまま意識が戻らず

「私の身に何かあったらS県センターに連れて行ってくれ」とのメールを残し

一人親のお父さんがそれに気づき広島から直行したそうだ。急なことで私も知らなかった・・・とおばさん。

私と秘書はそれを聞き即刻S県行を決断、それが今日の動きとなった最大の理由だった。


車椅子に乗って廊下から向かってくる。30メートル位に近づいて「M」だとわかった。

しかし焦点が合わない。

私のことも、あんなに仲の良かった秘書のことも分からない。もちろん自分のこともわからないそうだ。

「親のこともわからないのよ。」既に同様の症状を発症している他の被害者の親から話には聞いていたが・・・ショックだった。

テレビのニュースで家が燃えているのと、目の前で自分の家が燃えているくらい差し迫った現実感が違う。

車椅子を引かせてもらって、私と秘書で廊下の遥か遠くまで連れて行った。

「M、わかる?私だよ?」囁くようなつもりはないがそんな声しかまだ出ない。
「泣いているのは何故?どこのおばさん?」笑うのだ。私や郡山を見て。はしゃいでる。

以前電話で「私自分のことがわからなくなっちゃうのかな?」そう言っていたっけ。

「まさかだろ、有り得ない」

はっきりそう答えた。100%確信して答えていた。

しかしこれが現実だ。

2011年3月に接種している。長い時間をかけて徐々に侵食される。恐ろしいことだ。

一体これから先どうなっていくのだろう。どうするのだろう。どうしたらいいんだろう。

視察中間報告ー松本市

今日は議会運営委員会で松本に来ています。これから中部空港経由で北海道に帰ります。先日は千葉市の視察の模様を書き込みましたので、今日は松本について書き込みます。
 今苫小牧で議会広報をなるべく事務局の力を借りないで、自分たちで作成しています。しかし、そうすると議会全体で作るはずの広報も編集委員に負担が多くかかり、特に大きな会派ではそれは顕著です。皆で負担を分け合うような話し合いをしようということになっています。
 それに対し松本市議会では議会基本条例を策定し議会を3つに分け、一つは広報を担当するのですが、もう一つは政策関係を担当し常任委員会ごとにテーマを設定し、1年かけて研究検討し、結論を政策提案しています。さらにもう一つは交流関係として、市内各団体に出向き、市民と交流を図っています。苫小牧ではこの2つは行なっていません。
 積極的に政策検討し、積極的に市民に交流する姿が見えてきます。ただ政策提言したとしても事務方はそれを実施するかどうかは担保されていません。私にしてみれば、それも分るのですが、議会としてはそこが今後の課題だと思います。

視察中間報告ー千葉市

今、議会運営委員会の視察で千葉に来ています。
 千葉では平成22年より一問一答方式の質問を、今までの一括方式と並行して採用しています。しかし、採用当初は同じ位いた一問一答方式も最近では質問時間が少なくなるということで共産党や公明党などを中心にもとに戻る傾向があるようです。よかれと思って採用しても必ずしも労多くて成果少なしということでしょうか。
 明日は長野の松本に行ってきます。
  

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プロフィール

HN:
桜井忠
年齢:
71
性別:
男性
誕生日:
1954/02/03
職業:
苫小牧市議会議員
趣味:
書道
自己紹介:
大東文化大学経済学部卒
職歴 苫小牧市議(4期)、前苫小牧市長、元代議士秘書
室蘭市出身

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